夢かうつつか内々神社とヤマトタケルとタケイナダネの話 - 現身日和 【うつせみびより】

夢かうつつか内々神社とヤマトタケルとタケイナダネの話

内々神社入り口




 春日井市の奥、もうちょっと行くと岐阜県多治見市というところに内々神社(うつつじんじゃ)はある。ブログを始める2005年以前に一度行ったことがあって、もう一度行きたいと思いつつ行けず、ずっと気になっていた。出向いたのは紅葉の時期だった。

 旧国道19号線は、新国道19号線ができるまで、尾張と美濃を結ぶ重要な道だった。内津峠の手前ということもあって、当時はこのあたりにちょっとした宿場町もできていたようだ。今はもう、面影も残っていない。19号線の裏道と知っている地元の車が飛ばしていく。
 少し前の地図には、少し行ったところに内津温泉という記載がある。しかし、温泉は枯渇して宿も廃業したようだ。秘湯を求めてさまよっても見つからない。



朱塗りの鳥居

 創建年は不明ながら、平安時代の「延喜式」に載る式内社ということで、歴史は古い。その後は県社となっていた。
 ちょっと変わった名前の由来はこうだ。
 東国の平定を終えたヤマトタケルが内津峠にさしかかったとき、配下の者が早馬でやって来て、副将軍である建稲種命(タケイナダネノミコト)が駿河湾で水死したという報告を告げる。それを受けたヤマトタケルは、「あの元気なタケイナダネが……」と絶句したあと、「ああ現哉々々(うつつなりうつつなり」とつぶやいたという。そこにタケイナダネを祀る社を建てたのが内々神社の始まりなのだという。
 前にも少し書いたかもしれないけど、このあたりの経緯をもう少し詳しく順を追って説明した方がいいかもしれない。
 ヤマトタケルはまたの名を小碓命(オウスノミコト)といい、双子の兄の大碓命(オオウスノミコト)がいた。ヤマトタケルは兄のオオウスをひねり殺してしまったことで父である景行天皇の怒りを買い、西へ東へと討伐の旅に追いやられることになる。
 兄のオオウスが殺されたのが豊田市にある猿投神社とされていて、この神社についても近いうちに書く予定をしている。オオウスに関してはそのときまとめて書こう。
猿投神社に関して今の私が書けることのすべてを書いてみた

 九州の熊襲建(クマソタケル)兄弟討伐を終えたヤマトタケルは、休む間を与えられず今度は東方の討伐を命じられることになる。再び伊勢神宮にいる叔母の倭姫命(ヤマトヒメノミコト)を訪ね、ここで受け取ったのがのちに神剣・草薙剣(くさなぎのつるぎ)となる天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)だった。
 ヤマトタケルは熱田に立ち寄り、ここでタケイナダネに出会い、東征の副将軍とし、その妹の宮簀姫命(ミヤズヒメノミコト)と婚約をする。そして、東方に向けて出発していった。
 東国ではややピンチに陥りながらも天叢雲剣で難を逃れ、故郷の大和へ向けて帰る途中に内津峠を超えたところで話は最初に戻る。
 一方のタケイナダネは、尾張に戻るために海沿いの道を行っていた。そして命を落とすことになり、遺体は愛知県幡豆郡吉良(現・西尾市)あたりの海岸に流れ着いたとされ、そこには幡頭神社が建てられた。
 この後のヤマトタケルについては、醒ヶ井のときに書いた。草薙剣を置いて伊吹山へ行って、戦に負け、ついに故郷へ帰り着けないまま終わってしまう。
醒ヶ井最終回は梅花藻とヤマトタケルの話など
 そんなこんなを思いつつ内々神社を訪ねてみれば、また違った感慨も湧いてくる。



紅葉のモミジ

 境内には少しモミジなどが植えられていて、ところどころ赤く染まって彩りを添えていた。
 時刻は日没間近。写真を撮りながら参拝しているうちに日が暮れてしまった。



境内の様子

 境内はさほど広くない。紅葉の季節とはいえ普段と変わらない静けさだった。私の他に若手のカップルがひと組いたから、庭園などで一応知られた存在ではあるようだ。
 創建は熱田神宮よりも早いという。ヤマトタケルの神話がどこまで事実に基づいたものかは分からないけど、内々神社がタケイナダネを祀るためだとすれば、ヤマトタケル亡き後、草薙剣を祀るために建てた熱田神宮よりも早い時期だというのは話の辻褄が合う。
 現在は、ヤマトタケルとミヤズヒメもあわせて祭神となっている。
 勇猛だったタケイナダネにあやかろうと、古くから武将に信仰された神社だったという。秀吉も朝鮮出兵の前に、ここで戦勝祈願を行ったという話が伝わっている。神社の木を切り出して軍船用の帆柱にしたのだとか。秀吉本人がこんな春日井の奥地まで自らやってきたかどうかは分からないけど。



拝殿前狛犬

 拝殿前には、素朴な木彫りの狛犬がいる。けっこう古そうだから江戸時代あたりのものかもしれない。



彫り物

 ここの見所の一つに、社殿の彫り物がある。かなり凝った見事なものだ。
 現在の社殿は江戸時代後期の1818年に建てられたもので、善光寺表御門や京都御所御門などを造った信州の名工・立川一門が手がけたとされている。この地方では、瀬戸の深川神社や、豊川の豊川稲荷も立川一門が建てている。どちらも以前にこのブログで登場した。
瀬戸は大昔から陶器とともに歩んできた土地
豊川稲荷で閉じこめられそうになったのはキツネさんではなく自分のせい
 今でこそ歳月で黒ずんでしまっているけど、元は白木の彫刻だったから、できた当時は今見るよりももっと素晴らしいものだったろう。
 龍をはじめ、鳳凰や獅子などが彫られていて、これは一見の価値がある。



社殿の姿

 建築様式としては、本殿と拝殿を幣殿でつないだ権現造となっている。
 長らく檜皮葺きだったものを、1981年にその上から銅板を被せて、今のスタイルになった。



裏の庭園

 本殿裏の庭園は夢窓国師が造ったとされるものだ。こぢんまりしているものの、なかなか風情がある。やはりここは紅葉の季節がいい。
 夢窓国師は南北朝時代の名僧で、この近くの多治見の永保寺の庭も手がけている。永保寺の紅葉を撮りに行ったのも去年だったか。そのとき夢窓国師についても書いた。
近場で修学旅行気分が味わえる第2弾は永保寺
 丸池の周りをぐるりと一周できるのだけど、道は悪く、アップダウンも激しい。もともとこんな野手溢れる趣向だったのか、年月とともに荒れたのか。
 池には鯉が泳いでいた。昔は亀もたくさんいたらしい。なんでもタケイナダネの霊が亀に乗って駿河の海からからやって来たという話で、以来亀は神の使いということで大事にされたそうだ。近くで亀を捕まえたときは、酒を飲ませてこの池に奉納したとか。



横手散りモミジ

 池を回って、中ノ島にも立って、社殿を反対側から回って、帰ることにした。
 ずっと奥にいったところに奥の院があるというのだけど、相当険しい道のようだから、時間があるときに覚悟を決めて向かった方がよさそうだ。日没間際なんかに行ったら遭難してしまう。
 最初にタケイナダネを祀ったのは、奥の院だったという話だ。



妙見寺前

 隣には北辰妙見寺がある。もともとは神仏習合で、同じ境内の中で一体化していたようだ。明治の神仏分離令で一応は切り離されたものの、現在も隣接して建っていて、中で自由に行き来できる。
 開創は密蔵院を開山した慈妙上人で、室町時代の初期とされている。同じ春日井市内にある密蔵院についても、このブログで何度か紹介した。多宝塔があるあのお寺だ。全盛期は尾張地方の天台宗の中心として大いに栄え、戦国時代以降は衰退して今に至っている。
密蔵院には多宝塔があるというべきか多宝塔しかないというべきか
 妙見寺に関してはあまりよく分からなかったのだけど、北辰というのは北極星のことだし、北斗七星を描いた幕がかかっていたことから、星信仰に関係がある寺のようだ。



境内の様子

 ここは時期と時間がはまれば素晴らしい景観になる可能性を持っている。夜に雨が降った日の早朝にイチョウ絨毯が撮れたら絵になることだろう。

【アクセス】
 ・JR中央本線「高蔵寺駅」から「内々神社行き」の名鉄バスで30分。
 ・無料駐車場 あり
 ・拝観時間 終日
 

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コメント
非公開コメント

ふりがながなかったら「うちうちじんじゃ」と読む所でしたw

そういえば、先日はなしていた、ヒッチコックの「鳥」がなんと今日、昼に放送されていました

鳥が苦手なんですけど、ほとんどストーリーを忘れているので、体調のいいときに恐る恐る見ますww

2008-11-27 18:57 | from ただとき | Edit

これが読めなくてもKYじゃない

★ただときさん

 こんにちは。
 普通これは読めないですよね。
 ヒントなしに読めたら、逆に変。
 総理に読ませてみたい。

『鳥』の再放送ありましたか。それはまたタイムリーな。
 今観たら意外と怖くないのか、それも大人だから分かる怖さってのもあるのかな。

2008-11-28 03:59 | from オオタ | Edit

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