輪王寺に輪王寺という寺はなく、二荒山神社の仏教ゾーン ~日光第五回 - 現身日和 【うつせみびより】

輪王寺に輪王寺という寺はなく、二荒山神社の仏教ゾーン ~日光第五回

輪王寺-3

PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4



 日光の輪王寺(りんのうじ)について分かりやすく説明しようと思うと、それなりに勉強して理解を深めてから書き始めないと難しいものがある。
 まず、輪王寺という名前のお寺は存在しない。そこからしてすでに事態をややこしくしている。それじゃあ、輪王寺とは何かといえば、二荒山神社に元々あった仏教施設の総称みたいなものだ。これまで何度か二荒山神社の神仏習合や明治政府の神仏分離令については書いてきたけど、その結果として作り出されたのが輪王寺という存在だった。
 建物に関しても、二荒山神社と東照宮と輪王寺が同じ一つの境内の中に混在していて、境界線はあってないようなものだ。拝観料が必要なゾーンに出入り口があるくらいで。二社一寺のマップを見ると、右下に輪王寺があって、ずっと離れた左上に輪王寺大猷院(たいゆういん)というのがある。これも最初はどういうことなのかよく分からなかった。
 輪王寺大猷院は三代将軍家光のお墓だ。家康を尊敬していた家光は家康と同じところに葬られることを望んで遺言として残した。死の翌年、四代将軍家綱によって建てられたのが大猷院だ。これもまた混乱させる要素で、家康が神として神社に祀られたのに対して、家光は人として仏として祀られたため、大猷院はお寺の扱いとなっている。だから、ここは輪王寺の所属ということで輪王寺大猷院となっている。中禅寺湖のほとりにある中善寺(立木観音)も輪王寺に属している。
 話を整理するために、勝道上人の足跡をもう一度年代順におさらいした方がよさそうだ。

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 神橋を渡って日光山の境内に足を踏み入れたとき、玄関口で最初に出迎えてくれるのがこの勝道上人像だ。日光の生みの親ということで、この位置に立っているというのも当然のことだろう。ただ、この銅像は意外と新しく、昭和30年(1955年)に作られたものだそうだ。
 勝道上人が日光を訪れて最初に建てたのが紫雲立寺で、766年のことだというのは以前書いた。のちにこれは四本龍寺となる。
 810年、嵯峨天皇から四本龍寺の総号として満願寺という称号が与えられる。
 817年、勝道上人死去。
 820年、空海がこの地を訪れて、滝尾神社と若子神社を建立。
 848年、天台座主(てんだいざす)である円仁(慈覚大師)が来て、三仏堂、常行堂、法華堂を創建した。三仏堂は現在の輪王寺の本堂となっている。このとき満願寺は天台宗寺院となり、輪王寺の元が完成したと言える。
 1177年、座主の座を巡る争いが起こり、四本龍寺その他が全焼。鎌倉時代に入り、幕府の力添えで伽藍が再建された。
 1308年、鎌倉将軍・惟康親王の息子・仁澄が座主となり、以降皇族が座主を務めることになる(1420年にいったん廃止)。
 1590年、豊臣秀吉が小田原征伐をした際に、北条氏に力を貸したことで秀吉の怒りを買い、寺領を没収されてしまう。以降、日光山は没落していった。
 1613年、天海が日光山の貫主となったことで復興を遂げる。
 1616年、家康死去。翌年、天海が家康を祀るための日光東照社を建立。その他の伽藍なども造営される。
 1636年、再び天海が大造営を行う。
 1651年、家光死去。
 1653年、大猷院廟を建立。
 1655年、後水尾上皇の第三皇子が座主につき、満願寺に日光山輪王寺宮の号が与えられる。
 1868年(明治元年)、神仏分離令が出される。明治政府は輪王寺の称号を没収。もとの満願寺に戻された(のちに再び輪王寺を許可される)。
 同年、戊辰戦争が勃発し、旧幕府軍が日光山に立てこもる。このとき政府軍の板垣退助が説得にあたり、戦場を他へ移すことになった。入り口近くに板垣退助の像が建っているのはそのためだ。
 1872年(明治5年)、日光東照宮、日光山輪王寺、日光二荒山神社に分かれ、現在に至る。

 単純に言えば、勝道上人が開いた日光山に、空海や円仁が手を加えて巨大な神社兼寺院を造って、それが明治の神仏分離令によって、二荒山神社と輪王寺に分かれたという話だ。東照宮はあとからねじ込んできた神社で、これは別物と考えた方が分かりやすい。大猷院もそうだ。
 前期が勝道上人、空海、円仁で、後期が天海の日光という見方をすると理解がしやすいと思う。天海と東照宮についてはまたあらためて書きたい。

輪王寺-2

 上にも書いたように、輪王寺というお寺はなく、区切られた境内もないので、輪王寺とされる敷地内に入るだけなら自由でお金もかからない。有料なのは、本堂である三仏堂のところだけだ。これは二社一寺共通券に含まれている。大猷院も共通券で入ることができる。ただし、逍遥園という庭園と、宝物殿はまた別料金となる(300円)。日光の寺社はお金のシステムもややこしいことになっている。輪王寺だけ見たい場合は、本堂が400円と大猷院が550円という個別の券もある。共通券で1,000円ポッキリをうたいながら実は更に個別に料金を徴収していくという怪しいお店のようなシステムにしてやられてしまうのであった。気づいたら寺巡りだけですっかり2,000円以上取られている。
 上の写真に写っている門は、本坊表門で、総体黒漆塗から黒門とも呼ばれている。江戸時代初期に天海が造ったんだとか。雨に濡れて黒光りして、風格が増していた。これも重文。

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 輪王寺の本堂であり、日光山の中心とも言える三仏堂。
 平安時代に建てられたときは、これよりも更に大きなお堂だったそうだ。江戸時代までは東照宮と二荒山神社の間の境内の中心地に建っていたのが、神仏分離令によってここに移ってきた。
 現在の三仏堂は、家光が再建したもので、やや小振りになっているとはいえ横幅30メートル以上あり、日光で最大の建造物だ。
 本尊の千手観音、阿弥陀如来、馬頭観音は、それぞれ男体山、女峰山、太郎山の本地仏にあたり、このため三仏堂と呼ばれている。
 内部は残念ながら撮影禁止で写真はない。仏像はそれぞれ8メートルもある金ピカな巨大仏で、大変立派なものだった。
 本尊以外にも12神将の仏像がいて、それぞれが干支に対応してる。参拝客は自分の干支の仏像のところでいって拝むようになっている。そして出口では、それぞれに対応したペンダントのお守りが売っていて、お一ついかがですかという売り込みを聞くこととなる。一生もので1,000円ということで買っていく人もけっこう多いようだ。ツレは東照宮で買っていた。私は買わず。ここに来るまでにいいかげん日光にはお金を取られていたので、これ以上取られてなるものかという思いがあった。
 輪王寺自体の見所といえば黒門とこの三仏堂で、あとは裏手にある大護摩堂と護法天堂くらいのものだ。そちらは遠くから見ただけで中には入らなかった。雨も降っていたのと時間もなかった。
 ということで、回った順番としては逆になるのだけど、続いて大猷院の紹介に移っていきたいと思う。

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 私たちは西参道から入って二荒山神社、大猷院、東照宮、輪王寺の順で回った。普通は神橋から入って、輪王寺、東照宮、二荒山神社、大猷院の順番で回ることになると思う。だから、紹介する写真の順番としては不自然にはなっていない。
 上の写真は、東照宮の前から二荒山神社、大猷院とをつなぐ下新道だ。このすぐ北には上新道というのもあるので、余裕があれば行き帰りで別の道を歩いた方がいい。下は杉木立の深閑とした道で、上は灯籠が並んでいる。

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 これは二荒山神社の鳥居の前にある常行堂という建物だ。場所としては、輪王寺から離れていて、大猷院の門の外にあるのだけど、おそらく輪王寺のものということになるのだろう。まだここは大猷院の始まりじゃない。
 もともとは円仁が建てたもので、現在のお堂は江戸時代に再建されたものだ。本尊は阿弥陀仏。
 こういう建物もひとつひとつきちんと回っていけば、二社一寺の1,000円は安いと感じるのかもしれない。私たちは適当に飛ばしながら見ていった。全部をじっくり見て回っていたら3時間くらいはかかるんじゃないか。

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 この写真を見て、これってどこだっけ、と思う。常行堂の隣の法華堂かと思ったら違った。マップを見ると、このあたりにそれらしい建物はない。もしかしたら、二荒山神社の社務所あたりだろうか。だとしたら、輪王寺には関係ない。
 とりあえず目についた建物は片っ端から撮っていったら、あとで分からなくなった。

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 これが法華堂(ほっけどう)だろうと思う。写真右側の建物がそうだ。
 こちらも円仁が常行堂とセットで建てたもので、本尊は普賢菩薩。鬼子母神や十羅刹女なども安置されている。
 建物の左側は、常行堂と法華堂をつなぐ渡廊だ。
 その前で大きく両手を広げて記念撮影をしている女の子たちがいた。便乗でこっちもいい記念写真になった。彼女たちはきっと、円仁とかは知らないだろうなと思う。

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 法華堂を過ぎれば大猷院はもうすぐそこだ。ここが入り口で、左が券売所になっている。この先は有料ゾーンということだ。
 実質的な大猷院の始まりは、向こうに見えている仁王門からとなる。この先は建物も多く、写真の枚数もあるので、またあらためてということにしたい。
 今日のところはここまでとして、あとはオマケ写真を付け加えて終わりとする。

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 日光も丸ポストが多いところで、3基くらい見かけた。これは輪王寺の入り口付近にあったやつだ。ここに手紙を投函する人はあまりいないと思うけど、お寺関係者のためのものだろうか。

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 参道にヤマユリが咲いていて、これは思いがけず嬉しい収穫だった。そういえばもうヤマユリの季節だった。ここのところ毎年行っていた鳳来寺に今年は行けなかった。その代わり日光で見ることができてよかった。
 ヤマユリはやっぱりユリの女王様だ。

 日光の寺社編は、残すところ大猷院と東照宮だけとなった。ここへきてようやく二社一寺の関係性が分かってきて、頭の中が整理できてきた。あとは東照宮に関しての勉強をもう少しして、ここに書けば理解が深まると思う。
 赤目シリーズも気になるところではあるけど、まずは日光を完結させたい。

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