いろいろ分からないことが多い二荒山神社の勉強をする ~日光第四回 - 現身日和 【うつせみびより】

いろいろ分からないことが多い二荒山神社の勉強をする ~日光第四回

二荒山中宮祠-1

PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4



 今日から日光の神社仏閣編に入る。けれど、これがなかなかややこしくて、書き始める前に勉強する必要があった。行く前にガイドを見てもよく分からなくて、行って帰ってきて復習して、今ようやくつながりと歴史がだいたい分かったところで、まだそれもちゃんと消化しきれてないだけに、整理して分かりやすく説明できるかどうか自信がない。回数を重ねていくごとに私自身も理解が深まっていくと思うので、当面は一緒に勉強するつもりでおつき合いください。
 まずよく分からなかったのが、二荒山神社(ふたらさんじんじゃ)の存在だ。日光市内には東照宮を中心とした二社一寺というのがあって、その中にも二荒山神社があるのに、中禅寺湖湖畔にも二荒山神社中宮祠(ちゅうぐうし)というのがある。この関係性が分かってなかった。
 悪いのは明治新政府だ。いきなり話が飛んで何のことだと思うだろうけど、話をややこしくしたのは明治政府が出した神仏分離令に他ならない。
 昔の日本は神も仏も一緒に祀るのが当たり前で、日光も例外ではなかった。たびたび登場している勝道上人からして、坊さんなのに寺も神社も創建してしまったくらいだ。勝道上人が日光を開いて以来、この場所は神仏習合の一大霊場として発展していき、それで何の矛盾も問題もなかった。日光山という名前の山はなくても、寺社の建物から山、湖、湿原、温泉地まで一切合切を含めて聖地日光山と称していた。
 それが明治政府が出した神仏分離令によって、無理矢理神社と寺が分けられることとなり、二荒山神社と日光東照宮、そして輪王寺という二社一寺という形になったのだった。そのあたりの詳しいことについては、またあらためて書くことにして、話を二荒山神社中宮祠に戻したい。
 日光市内にある二荒山神社は、あとから分けられてできたようなもので、二荒山神社中宮祠の方が先に建てられている。
 勝道上人が苦労の末、男体山の初登頂に成功したのが782年。このとき山頂に小さな祠を祀って奥宮とした。
 784年には男体山の山麓に中宮祠を建立した。これが二荒山神社中宮祠で、市内の本社と奥宮の中間に位置するということで中宮祠となった。
 このとき一緒に神宮寺の中禅寺も建立している。神宮寺というのは、神社に付属して建てられた寺のことで、もともと中善寺と二荒山神社中宮祠はセットだった。明治時代に山津波が来て、中善寺が倒れてしまったため、現在中善寺(立木観音)は少し離れた場所に建っている。
 これでだいたい話は整理できたと思うけど、もうひとつやっかいなことが残っている。それは、二荒山の名前の由来と、もう一つの二荒山神社についてだ。
 二荒山というのは、勝道上人が男体山に登ったとき、日光の美しい風景を見て、観音浄土に見立てて補陀洛山(ふだらくさん)と呼んだのがなまったという説がある。あるいは、男体山と女峰山の二つの山を二荒山と呼んだのだともいう。他にもいろいろ説があってはっきりしない。二荒をにこうと読んで日光という字を当てたのは弘法大師空海だったという話もある。
 やっかいなのは、日光の二荒山神社よりも更に古い歴史を持つ二荒山神社が宇都宮市にもあるということだ。しかもあちらは「ふたあらやまじんじゃ」と読ませる。二つの神社は起源が同じなのか違うのか、そのあたりもよく分かっていない。
「延喜式」に載っている下野国一の宮も、日光のものなのか宇都宮のものなのか、はっきりしていないようだ。お互いに自分のところだと言い張っている。
 また前置きがすごく長くなってしまった。ぼちぼち鳥居をくぐって中に入ることにしよう。
 上の写真は東表参道になる。もう少し先へいったところには浜鳥居もある。帰りはそちらから出た。
 何か工事をしていたのか、祭りの準備なのか、少し雑然としてソワソワした感じだった。

二荒山中宮祠-2

 唐門(からもん)。日光の神社仏閣は、ほとんどの建物が重要文化財か国宝なので、どれもありがたみがあるから、逆にどれが特別ありがたみがあるというわけでもない。
 二荒山神社中宮祠の社殿や建築物に関しては、何年に誰が建てたなどの詳しい情報を見つけることができなかった。奈良や平安というほど古いものではなさそうだから、江戸時代あたりに再建されたものが多いのだろうか。それ以上新しければ重要文化財にはなってないはずだ。
 晴れた日なら、この後ろ正面にどーんと御神体の男体山が見える。このときは曇りがちで、写真も空が飛んでしまった。

二荒山中宮祠-3

 入るのには300円かかる。日光けっこうお金がかかる。東照宮など泣く子も黙る1,300円。神社に入るのにこの値段は驚いた。
 二荒山神社中宮祠は男体山山頂への登拝口も兼ねていて、山登りをするためにはここで受付をしないといけない。山登り料は500円。300円プラス500円なのか、山登りの人はプラス200円で500円になるのか、そのあたりの詳しい料金体系は知らない。

二荒山中宮祠-4

 拝殿。本殿はこの奥で、横に回り込まないと見えない。
 祭神は、二荒山大神で、大己貴命(オホナムチノミコト)、田心姫命(タゴリヒメノミコト)、味耜高彦根命(アヂスキタカヒコネノミコト)で、これはそれぞれ男体山(二荒山)、女峯山、太郎山と対になっている。日光三山、日光三所大権現などとも呼ばれ、お父さん、お母さん、息子を表している。
 のちに、それぞれ千手観音、阿弥陀如来、馬頭観音の仏様も当てられるようになった。
 完全に神仏習合というか、神仏混淆で、神も仏も一緒くたになっていたという歴史がよく分かる。輪王寺本堂の本尊もこの3仏がそれぞれ祀られている。
 それにしても、どうして勝道上人は、スサノオの子で地の神である大国主神(大己貴命)を主祭神として選んだのだろう。少し前に星神社のところでも書いたけど、大国主は国造りや農商業の神で、出雲大社(出雲神社)の神だ。尾張地方で祀られることも多いけど、この頃はまだ三河出身の家康とは関係ない。日光と出雲神社の関係性もよく分からないことの一つだ。
 下野国の開祖で下毛野君の始祖とされる豊城入彦命(トヨキイリビコノミコト)でなくてよかったのか。宇都宮の二荒山神社では豊城入彦命を祀っている。このあたりから見ても、やはり下野国一の宮は宇都宮の方で、日光の二荒山神社とは成り立ちが違っているようだ。

二荒山中宮祠-5

 大国殿。本社の方だけでなく、こちらにもあった。
 七福神の大黒様とは違って、ここでの大国様は大国主大神(大己貴命)の俗称だ。
 打ち出の小槌を振ってお参りするというのは珍しい。
 出雲神社といえば縁結びの神様ということで、ここでも縁結びの御利益があるということだった。

二荒山中宮祠-6

 栃木県の天然記念物となっているイチイ。どこにあったんだろう。社殿の裏手だったのだろうか。
 樹齢1000年を超える巨木だそうだ。

二荒山中宮祠-7

 右手奥には男体山の登拝口がある。手前は幸せの黄色いハンカチ風のもの。どういうものかは知らない。

二荒山中宮祠-8

 とりあえずどんな感じになっているのか、入り口付近まで行ってみた。もちろん、登るつもりはなかった。
 見えているのは、登山口にあたる登拝門だ。
 5月5日に開山祭があって、10月25日の閉山祭で閉じられる。冬場は危険なので登山禁止だ。
 道のりは約6キロで、かなり険しいらしい。普通の人で往復6時間から7時間というから、普通じゃない人はもっとかかる。観光気分で登れる山じゃない。
 7月31日から8月7日までの一週間は男体山登拝講社大祭というのが開催される。えらい賑わいらしく、初日の午前0時は境内が数千の山登り人で溢れかえるんだとか。危険防止のため100人ずつ区切られるという。山は相当な混雑というか行列になるのだろう。

二荒山中宮祠-9

 記念ということで、門をくぐって5、6歩歩いておいた。これで山登りのさわりだけしたことにして、ここで引き返す。

二荒山中宮祠-10

 ちょっと変わった顔をした狛犬さんが、きれいに苔むしていた。なかなかいい感じ。

二荒山中宮祠-11

 男体山登拝番付なんてのが掲げられている。男体山に登りまくりの人もいて、横綱(?)は1,000回を超えている。
 男体山登山愛好家の登拝講というグループが全国に50もあるというから、この山のファンは多いらしい。簡単すぎず難しすぎず、往復6時間くらいというのは日帰り登山にはちょうどよさそうだ。

二荒山中宮祠-12

 社殿の彫り物や色合いなどは、日光全体で統一感がある。どこの寺社を見ても、日光っぽいなと思う。社殿の建立時期は全部が一緒ではないだろうけど、元からこういう造りだったのだろうか。

二荒山中宮祠-13

 浜鳥居側からは、この八脚門が出迎えてくれる。8本の柱で支えられているところから名づけられた。
 これはかなり時代を感じさせる。けっこう古いものじゃないだろうか。
 門から出てこようとしている人が、今回日光で私たちを助けてくれたおじさまだ。ここであの人にバス事情などをいろいろ教えてもらわなければ、後半の予定が大きく狂っていた可能性が高い。写すつもりじゃなくたまたま写り込んでいたのだけど、記念写真になった。
 登り慣れている感じだったから、あの番付にも出ていたかもしれない。

 ここから華厳の滝までは歩いていった。20分くらいだったろうか。バスのタイミングが悪かったこともあったし、道路が渋滞していたから、歩いた方が早かった。
 華厳の滝から駅方面へ向かう場合は、華厳の滝の前で待たずに、5分ほど中禅寺湖側に引き返して、中善寺温泉始発のバスに乗るべし。帰りのいろは坂は下りで危険なので、立ち客を乗せてくれない。補助席をあわせて定員55名だから、中善寺温泉始発のバスを待った方が絶対に乗れる確率は高い。下手すると華厳の滝の前では何本バスをやり過ごしても乗れないということもあり得る。
 このときのバスは、結局ダイヤから1時間遅れでようやく到着した。私たちはその2本あとのバスに乗るつもりだったけど、そのバスはあれから何分後に来たんだろう。
 おじさまの助けもあって、なんとかバスに乗り込んだ我々は最後に東照宮へ向かった。残り時間は約3時間。終盤は雨が降り出すという不測の事態に陥ったのだけど、それはまた別の話。
 まずは二荒山神社の勉強をしたところで、次回は二荒山神社本社を紹介する予定となっている。

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コメント
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20年前ですが

大学生の時に自転車旅行で行きました。
そのときは東北を走り回って、新潟から延々走って日光が終点でしたが…。
そのときは2000km走った最後に日光大谷川YHで泊まって観光して
帰りました。出来れば自転車でいったところはもう一度いってみたいですね。

2008-07-26 22:31 | from miho-papa

自転車の旅かぁ

★miho-papaさん

 こんにちは。
 車だけでなく、自転車でも激走してたんですね。
 電車もたくさん乗ってるみたいだし、乗り物に乗るのが好きってことに決めつけよう(笑)。
 自転車旅行って、考えたこともないです。そうかぁ、自転車って旅行できるものなんだ。
 中学の頃は自転車でずいぶん遠くまで行ったけど、高校で自転車通学をして、もう一生分自転車は乗ったって思ってました。(^^;

 日光は私もまた行ってみたいところです。
 東武ワールドスクウェアというのが気になるところ。

2008-07-28 04:25 | from オオタ | Edit

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