有名人が多数訪れる篠島は歴史探索の魅力がいっぱい <第三回> - 現身日和 【うつせみびより】

有名人が多数訪れる篠島は歴史探索の魅力がいっぱい <第三回>

篠島神社仏閣-1




 篠島編最後は神社仏閣特集での締めくくりとなる。日間賀島同様、篠島も神社仏閣が多いところで、知多四国八十八ヶ所の一つ正法禅寺があり、お遍路さんも海を渡って訪れる。たいていは日間賀島とセットで回ることになるのだろう。
 寺社はすべて島の中央部分に固まっていて、一度に全部巡るのに都合がいい。私たちは医徳院をのぞく3寺、2神社を参拝した。医徳院がやや離れたところにあったため時間切れになってしまったのはちょっと惜しまれる。西方寺などを見つけるのに時間を食ってしまったということもあった。
 まずは東照山松寿寺から。ここだけ島の北東部分の高台にあって、他とは離れている。ただし、高速船乗り場がそちら側で、中心に向かう途中にあるから、問題はない。
 離れているといえば、この島は小学校と中学校が島の北と南にあって、えらく離れている。日間賀島では隣り合っていたし、それが普通だと思うのだけど、どうしてだろう。南にある中学は集落から離れていて通うのに遠そうだ。敷地の問題だろうか。

篠島神社仏閣-2

 民家とお寺の境内が渾然一体となっていて、境界線がない。境内に芝生を植えてあるし、花壇まで作っている。写真には写ってない場所も花壇になっていて、家の人なのか住職さんなのかが花の手入れをしていた。
 お寺を神域とみるかどうかでも感じ方は違ってくるのだけど、ここなどは完全に日常の空間になってしまっている。神社ではなくお寺だからこれはこれでいいのだろう。
 戦国時代の1542年に建てられた寺で、最盛期には末寺を六坊も有していたというから立派なものだ。西国の大名が篠島へ渡ってきたときはここが本陣として使われたそうで、かつては知多半島の三名刹と呼ばれていたんだとか。
 曹洞宗のお寺で、本尊は如意輪観世音菩薩。
 徳川時代のはじめに、山号を東光山と改めたところ、悪いことがいろいろ起こったため、島民が元に戻してくれとお願いして戻されたというエピソードがある。
 古い寺のわりには本堂が新しいと思ったら、昭和57年に屋根の葺き替えをしたそうだ。昔はどうだったか知らないけど、現在は銅版葺きになっている。

篠島神社仏閣-3

 高台に建っているから境内からの見晴らしがいい。サンサンビーチと海がよく見える。こちらは南東向きだから、海から昇る朝日が見られそうだ。

篠島神社仏閣-4

 次にやってきたのが正法禅寺。知多四国38番目の札所で、お遍路さんが訪れるのはこのお寺だ。
 創建は南北朝時代の1347年とも、1362年とも言われ、開基は説宗讃大和尚とされている。ここも曹洞宗のお寺で、静岡の袋井市にある可睡斎の末寺に当たる。
 島の言い伝えによれば、仙麟等膳和尚が駿府の今川義元の人質でだった徳川家康を救い出してこの島に渡り、70日間ここにかくまっていたという。こんなような伝説はいろいろあって、どこまで本当なのか分からないのだけど、家康と篠島の縁は確かにあって、1582年に医徳院で武運長久の祈願を行った他、何度か訪れているそうだ。まったく縁がない尾張の離島に何度もやって来るとは考えられないから、仙麟等膳和尚の話は実際にあったことなのかもしれない。
 仙麟等膳和尚(せんりんとうぜんおしょう)というのは可睡斎の11世で、家康が浜松城主になったとき昔の礼をするために城に呼んだところ、家康の前でこっくりこっくり眠ってしまったという和尚だ。その姿を見た家康は、「和尚我を見ること愛児の如し。故に安心して眠る。われその親密の情を喜ぶ、和尚 、眠るべし」と語り、それ以来和尚は可睡和尚と呼ばれるようになり、寺の名前も東陽軒から可睡斎へと改められたのだった。
 1645年に金・銀・銅・鉄で鋳造された龍門の梵鐘というのがあるらしい。知ったのは帰ってきてからだった。普通に見られる場所にあったんだろうか。

篠島神社仏閣-5

 これは秋葉堂か、観音堂か、どっちだろう。
 可睡斎は秋葉山の総本山だから、正法禅寺も当然その関係があることになる。
 それにしても、お寺には似つかわしくないようなポップなのぼりが目についた。ここだけちょっとアキバっぽい。秋葉山だけに? それはないと思うけど。カラフルなのぼりにはコミックタッチの坊さんが描かれている。

篠島神社仏閣-6

 時間を気にしながら、次は寂静山西方寺へ。知多四国八十八ヶ所 の番外でもある。
 1516年に安誉上人が創建されたとされる浄土宗のお寺だ。伊勢神宮で火災があり、皇太神宮の鬼門に当たる篠島に、天皇の命令で善光寺如来の分身を安置するために建てられたのがこの西方寺だという。そのときの資材は伊勢神宮のものを使ったとも言われている。
 その善光寺如来像は武田信玄が慈覚大師に命じて作らせた金仏だという話がある。こんな尾張の外れの離島で、こうも次から次へと有名人の名前が出てくるとにわかには信じがたいのだけど、この島が長く伊勢神宮の領域だったことを考え合わせれば、それが信じる根拠となるかもしれない。もしかすると、篠島は日間賀島と同列に語るべき島ではないのか。
 信玄の嫡男の勝頼も、この寺をたびたび訪れたという。
 現在の本堂は1974年に建て直されたものなので、往事の面影はない。ごく普通のお寺だ。
 張り紙があって、何が書かれているのだろうと見てみると、「ネコが入りますから、戸はかならず閉めてください」とあった。猫くらい自由に出入りさせてあげる仏心が欲しい。

篠島神社仏閣-7

 八十八ヶ所お砂踏み霊場サミットのポスターを見つけた。そんなものがあるのか。世の中には自分の知らないところでたくさんのいろんなサミットが開催されている。
 知多四国霊場は日本三大新四国の一つで(あとの二つはポスターにもある篠栗と小豆島)、ここは弘法大師が41歳のときに歩いたと言われている。それから今年で200年ということで、様々な催し物が行われているようだ。記念グッズや特製の印などももらえるといって、2008年は知多のお遍路さんにとっては記念すべき年となっている。百年祭など、誰にとっても一度しか体験できないことだから、そりゃあ気合いも入ろうというものだ。今小学生くらいの子供がここで八十八ヶ所巡りをやっておけば、もしかしたら三百年祭のお遍路もやれるかもしれない。
 札所88、開山所3、番外札所7の合計98寺。全行程は約150キロ。これくらいなら車を飛ばせば3泊4日くらいで終わるんじゃないかと思うけど、お遍路というのはそんなものではないのだろう。全制覇することが目的なのではなく、歩きながら自分と向き合うことが大切に違いない。菅直人は自分を見つめ直せたのだろうか。
 まずは、やろうと思える心境になれるかどうかというのが大事なことで、始めたらもう半分やったようなものと言えそうだ。

篠島神社仏閣-8

 お寺巡りはこれで終わって、残すは神社二つとなった。まずは神明神社から。
 倭姫命が天照大神の鎮座すべき場所を探して諸国を巡っているとき、この島を訪れてたいそう気に入ったという話を前回、おべん鯛のところで少し書いた。そのときに荒御魂を祀るために荒御魂宮を建てたことが神明神社の始まりとされている。
 荒魂(あらみたま)というのは、神の霊魂の激しい側面をいい、平和な面を和魂(にぎみたま)という(読み方はいくつかある)。更に幸魂、奇魂というのもあって、それぞれを祀っているところがある。
 771年に土宮(つちのみや)を勧請して、神明社が建てられた。そのときは伊勢神宮の用材で建てられている。
 以降、神宮の式年遷宮のたびに古材をいただいて、神明神社も遷宮を行ってきた。伊勢神宮の次回62回遷宮が平成25年完成なので、ここの遷宮は平成26年以降ということになるだろう。
 かつては伊勢神宮にお宮参りをした人は、宮巡りといって篠島の神明神社も参る習わしだったという。それが無理な場合は、二見浦から篠島に向かってお参りをしたそうだ。

篠島神社仏閣-9

 本殿は伊勢神宮と同じ神明造というのだけど、うーん、似てるかな。伊勢神宮の本殿もよく見えなかったから、似てるとも似てないとも言えない。
 全体的な雰囲気としては、神聖な緊張感があるというわけでもなく、古びて少し荒れてるような印象も受けた。特に境内は荒れ地みたいになっている。賽銭箱も小脇に抱えられそうなほど小さいし。

篠島神社仏閣-10

 巡った順序としては入れ替わってしまっているのだけど、最後に八王子社を紹介しよう。
 ここはなんといっても犬嫌いの神様として有名だ。それはこんな話が元になっている。
 篠島では正月三日の夜に八王子社の神オジンギサマが神明神社に渡るとされていて、その夜は家の明かりを消して物音も立てずに島民はみんな家にこもるのが習わしになっている。それはのちに篠島の大名行列という神事へとなっていき、現在でも続いている。明けて4日には、神明神社から八王子社へオジンギサマをお送りするということで大名行列を作り、前浜では若い衆によるやっこ踊りなどが披露される。
 ある年、そのお渡りの最中に犬が吠えた。神事は滞りなく終わったものの、それ以来海が荒れに荒れて漁ができなくなってしまった。海を沈めて欲しいと八王子社へ祈願へ行くと狛犬が台座から転げ落ちた。拾って置き直したのに、翌日行くとまた落ちている。それが続いたから、八王子の神様は犬が嫌いで怒ってこんなことをしているんだということになり、島から犬を追い出すことが決まった。かわいそうな犬と飼い主たち。狛犬も医徳院へ移したところ、ようやく海は静まって漁ができるようになったという。
 それ以来、長らく篠島では犬を飼うことが禁止されていたらしい。今はそんなこともなく普通に飼われているそうだけど、犬にしたらいい迷惑だった。そもそも、狛犬って犬じゃないし。狛犬は想像上の神獣で、決して犬ではない。ルーツを辿れば獅子やライオンに行き着く。
 それに、八王子社の御神体は、伊勢の箕面大社から奉納された獅子頭だ。御神体が獅子なのに狛犬が元凶とは筋が通らない。
 それでも、八王子社は今でも犬嫌いの神様ということになっている。
 創建は1288年。もともとは海の神様を祀る神社だったという。

篠島神社仏閣-11

  伊勢神宮の古材で建てられた神明神社の古材で建てられるのが八王子社で、やはり20年ごとに行われている。
 神明神社と八王子社の本殿は確かに似ている。そっくりと言ってもいいかもしれない。

 こうして見てきたように、篠島というのは深い歴史を有したところだ。更に時代をさかのぼれば、貝塚からたくさんの縄文土器などが出土している。伊勢神宮との縁が、のちに多くの縁を生んだということもある。
 今回は南エリアへまったく行けなかったので、そちらのレポートをすることができない。昔、クジラ漁をしていたときにクジラを陸揚げしていた鯨浜や、加藤清正が名古屋城の築城に使うために切り出そうとした清正の枕石、西行法師ゆかりの矢立、種田山頭火の碑など、見逃したものは多い。
 万葉集の歌が刻まれた碑が建つ歌碑公園から見る夕陽は、日本の夕日100選に選ばれている。
 日間賀島が観光の島とするなら、篠島は歴史散策の島と言っていい。だから、訪れる側としても、二つはまったく別の島として捉えておいた方がいいと思う。隣り合わせの島でありながら、二島はまるで似ていない。日間賀島の方が島民と観光客との距離が近くて、篠島は遠く感じたというのもあった。
 個人的には日間賀島の方が好きだけど、篠島の魅力も捨てがたい。篠島については、もう一度行かなくてはいけないことがはっきりした。一通り歩いて、主だったところを見終わったとき、また違った感想を持つことになるかもしれない。
 いずれにしても、二島はどちらも行くに値するところだ。はっきりオススメできる。手軽な離島体験というのはなかなか貴重なものだし、見るところが何もなくても不思議と鮮やかな印象をあとに残す。
 とりあえず今回の二島巡りシリーズはこれで終わりで、残り一回、番外編を追加しようと思っている。島に渡る前の河和と名古屋駅に戻ってからの写真が残っている。私の茹でタコ日焼け写真もお楽しみに。
 
 河和駅周辺は想像していたより街だった ~島巡り編完結
 

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2008-07-09 04:55 | from オオタ | Edit

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