篠島ではレンタル自転車を借りられず徒歩で回ることになった <第一回> - 現身日和 【うつせみびより】

篠島ではレンタル自転車を借りられず徒歩で回ることになった <第一回>

篠島船着き場



 篠島(しのじま)へ渡ったのは午後3時半過ぎだった。最終の高速船が5時45分なので、滞在時間は2時間ちょっと。その船を逃すと、海上タクシーで帰るか、泊まっていくしかなくなる。もしくは、河和まで泳ぐか(直線で14キロくらい)。
 当初の予定としては、レンタサイクルで島をぐるっと一周見て回って、だいたいの雰囲気を感じようというものだった。しかし、その計画は出だしから大きくつまずくことになる。
 この島のレンタサイクルは観光案内所がやっていると聞いて駅前の建物に借りに行ったら、時間は午後3時で終わりだという。まさかそれは考えなかった。船の最終は5時45分だし、夏場は5時を過ぎてもまだまだ明るいのだから、普通に5時くらいまではやっていると思っていた。
 調べが甘かったと反省しつつ、徒歩での散策へと気持ちを切り替えた。その気になれば島にはいくらでも自転車が転がってるから借用できなくはないのだけど、さすがにそれはいけない。驚くことに、多くの車の窓が開いていて、キーも差しっぱなしだったりする。さすがに島の人たちは大らかだ。

 島の面積は約0.9平方キロだから日間賀島より一回り大きい程度ではあるのだけど、起伏が激しくて変化に富んだ地形なので、かなり違った印象を受ける。日間賀島が横長の島なのに対して、篠島は縦の島だ。
 人口は約1,900人、世帯数640ということで、日間賀島よりやや少ないものの似たり寄ったりだ。
 島の周囲は約9キロで、周回道路はなく、ぐるっと大回りで歩く距離としては7キロ弱だから、スタコラ歩いて2時間ちょっとだろうか。
 小中学校が一つずつあって、かつてあった内海高校の分校が閉校になったのも日間賀島と同じだ。
 このように、数字だけ見ると日間賀島と篠島はとても似ている離島なのだけど、実際は多くの違いを持つ島だった。辿ってきた歴史や現在の方向性もそれぞれで、2つの島は全然似ていない。島人同士の意識はどうなのだろう。
 わずか2時間の滞在で、見所の半分も見ることができなかったけど、今日から何回かに渡って私が見てきた篠島を紹介したいと思う。




小学生たち

 私たちと入れ違いに小学生たちが船に乗って帰って行った。名古屋あたりからここまで遠足に来ることはあまりないと思うけど、知多や三河のちびっ子たちにとっては日間賀島や篠島は馴染み深いところなのかもしれない。夏休みの臨海学校の場所としても適している。
 船では制服姿の高校生もけっこう見かけた。島に分校がなくなってしまった今、家から通おうと思えば船とバスか電車を乗り継いで通うしかない。一番近い高校は内海高校だろうけど、みんなが入れるとも思えない。河和まで行って、そこから河和線で半田まで行けば、半田高校、農業、商業がある。それにしても、あまり選択肢はなさそうだ。
 こちらの島は高速船乗り場が北西に一つあるだけだ。日間賀島からは7、8分で到着する。師崎から直接この島へ来るときも、日間賀島経由になって30分ほどかかる。
 地理的には日間賀島、佐久島と3島の中で最も外側に位置していて、南西側は外洋を向いている。師崎と伊良湖を結ぶ間にあるということで、昔は交通の要所として多くの船が出入りしていたという。
 島の周りには大小10数個の小島があって、東海の松島とも呼ばれている。
 伊勢神宮との関わりも深く、伊勢神宮領だった歴史もあり、流人の島だったこともある。そのあたりのことは、神社仏閣編のとき詳しく書きたいと思う。




島弘法と鯛のオブジェ

 高速船乗り場から表に出ると、いきなりひなびた雰囲気になる。船を降りてすぐ目の前にお土産物屋が並んでいた日間賀島とは出だしから大きく異なっている。この島は観光地然としていないというのが第一印象で、それはこの島をあとにするときまで変わらなかった。
 日間賀島がタコとフグの島なのに対して、篠島はフグとおんべ鯛の島をうたっている。
 御幣鯛(おんべたい)というのは伊勢神宮へ献上する鯛のことで、大昔から現在に至るまで、一年に3回(6月、10月、12月)、鯛を塩漬けにして伊勢神宮まで運んでいる。ただの贈りものとかではなくて、神事として行われているものだ。一度に奉納する数は160尾。毎年10月12日は伊勢神宮で御幣鯛奉納祭が盛大に行われる。
 以前は離れ小島で現在は埋め立てで地続きになった北端の中手島で、おんべ鯛が作られている。今回は時間なくてそちらまでは行けなかった。
「日本書紀」によると、倭姫命(やまとひめのみこと/日本武尊の叔母で天叢雲剣を与えた神)が、尾張から伊勢の各地を巡っているとき篠島に立ち寄って、ここの鯛が気に入って伊勢神宮に鯛を届けるようにと言いつけるとともに、この島を伊勢神宮領に定めたとされている。
 この道を前方に進むと、島の観光案内所の建物がある。もともとはパークゴルフ場のクラブハウスだったところを再利用していて、観光案内所とは思えないさびれ方をしている。案内所の文字も取れてしまってるから、一見すると廃屋かと見まがう。ミニゴルフ場でも作れば観光客も来てくれるだろうし、島民もやりに来てくれるんじゃないかという見込みは甘かったようだ。閉鎖されてから久しい様子だった。
 右に曲がって橋を渡った先には、篠島釣り天国がある。島が管理している海の釣り堀で、島内ではここが一番の人気スポットと言ってもいいかもしれない。周りは海なんだからタダで釣り放題だろうと思うとそうでもなく、手軽に釣りを楽しめるということで釣り堀に行く人も多いようだ。
 レンタサイクルを貸してもらえなかった我々は、徒歩で南下して、まずは東の海岸を目指すことにした。




家並み

 島のほぼ全域に人が住める日間賀島とは違って、篠島は山があって家を建てられるところが限られている。集落は主に北と中心部の2ヶ所で、北ゾーンは新しく開拓された部分のようで、きれいに区割りされた中に整然と民家が並んでいる。ここだけ見ると町中と変わらないくらいだ。一方の中心部は昔からの区域で、狭くて入り組んだ道の中に雑然と家が建っている。そのあまりにも対照的な光景には驚いた。これだけ家並みの様子が違えば、住んでいる人の気質も違ってくるんじゃないだろうか。
 この島も主に漁業で成り立っている。観光が占める割合は日間賀島よりもかなり小さそうだ。それでも、旅館や民宿は島内に約40軒あるというから、それなりに観光地でもある。
 一番はシラス漁で、組合の漁師の半数以上がシラス漁に関わっているとのことだ。愛知県で獲れるシラスの3分の1は篠島のものが占めている。ここではシロメと呼んでいるそうだ。
 トラフグ漁も盛んで、秋からは大漁旗をつけたたくさんの船が港から繰り出していく。新鮮なフグが安く食べられるということで、この時期は遠くからもフグ目当ての観光客がやって来るという。




島民たち

 島民の主な足はここでもやはりスクーターだ。みんな当然のようにノーヘルでビュンビュン飛ばしていく。日間賀島よりも道が広いから、こちらの方が車を運転するのは楽そうだ。
 海岸沿いを歩きながら、城山の下をぐるりと回る。右手は小高い山になっていて、かつて篠島城という城があった。平安時代以前に建てられた山城で、源平時代の城主・室賀左近太夫秋季は源氏方について、伊豆にいた源頼朝に平家の情報を流していたらしい。1180年に頼朝が初めて挙兵したときに自分たちも応援に駆けつけようとしたものの、戦には間に合わなかったのだとか。
 1338年、この島に一つの大きな出来事が起きる。南朝の後醍醐天皇の皇子である義良(のりよし / のりなが)親王(のちの後村上天王)が、東国へ向かう途中、遠州灘で暴風雨にあって難破して、この島に流れ着いたのだ。それはもう、島は大騒ぎとなり、舞い上がった。どうしたらいいかとみんなで相談した結果、篠島城を大急ぎで修理して、ここを仮住まいにしていただこうということになった。
 それから義良親王は迎えが来るまでの半年間を島で過ごすこととなり、親王の飲み水を提供するための帝井(みかどい)や、漂着した神風の浜など、そのときの名残が今でもいくつか残っている。
 篠島城はその後廃城となり、いつしか城山と呼ばれるようになった。現在は跡地に篠島水神社が建っている。遺構は何も残っていないようだ。
 どこからどう登っても厳しい坂道を歩かないといけなかったので、行くのは取りやめた。時間さえあれば見に行っていたところだから、残念だった。
 この道沿いにはたくさんのお地蔵さんが立ち並んでいる。島弘法と呼ばれるもので、漁や島民の安全を見守っているという。
 弘法大師をかたどったもので、全部で88体プラス何体かあるようだ。島ではこの道を弘法道と呼んでいるらしい。明治の末から大正のはじめにかけて、島民の寄付で整備された道ということで、島の人はみんな大事にしているんだとか。




海岸風景

 観光案内の人の話ではほんの15分くらいですよということだったのだけど、なんだかんだで30分くらいかかってようやく前浜海水浴場に到着した。けっこう遠い。
 日間賀島の海水浴場とは違って、ここは天然の砂浜だ。三河湾の外に近いところだから、海の水も砂浜もきれいだった。サンサンビーチと名付けられた砂浜が800メートルほど続いている。地元の人は前浜(ないば)と呼ぶそうだ。




海岸前

 島ではここらが観光の中心地ということになるのだろう。海岸の前におみやげ屋や民宿などが並んでいる。夏はここも海水浴客で賑わうはずだ。
 私たちが行ったときはまだ海開きの前ということで、泳いでいる人も遊んでいる人もいない静かな砂浜だった。ここで腰を下ろして、しばし潮風に吹かれながら休んだ。
 けど、あまりのんびりはしていられない。持ち時間は2時間で、最終の船を逃すと大変なことになる。先を急ぐことにする。




静波食堂跡

 静波食堂という名前がいい。営業していた頃はどんな食堂だったんだろう。海辺のハイカラ食堂だったのか、おばちゃんがやってる庶民的な店だったのか。




おみやげ屋

 浜辺から中に入っていくと、細い路地と古い家並みの集落地帯になる。その中には神社仏閣も集まっている。そのあたりの様子は、また次回まとめて紹介するとして、上の写真は突き抜けた先にある港のおみやげ屋さんだ。
 意表を突く派手な黄色い外観と、古めかしい店内とのギャップがすごい。かなりディープな感じでうかつには近づけなかった。写真も遠巻きに撮る。




店の様子

 及び腰で遠くから撮りすぎて店内がどうなっているか、これではよく分からない。勇気を出して店に入るべきだったか。どこかでおみやげを買おうと考えていて、まさかここしか選択肢がないとは思わなかった。この先であるだろうと思ったら、高速船乗り場までなかった。
 このおみやげ屋も、観光客相手よりも地元の人のための市場の性格が強いのかもしれない。場所的にもこちらまではあまり観光客が来ないと思う。




港風景

 地元漁師のための港は中心部の北側にあって、ここでもたくさんの船が係留されていた。
 港には3軒の造船所がある。昭和20年代までは10軒近くもあったというから、大したものだ。このあたり一帯の漁船を造っていたそうだ。これだけの船があるということはかなり売れるだろうし、修理の需要もあるだろう。ちょっとした漁船でも1千万円から数千万円するという。
 手前は学校帰りの中学生たち。島にはゲーセンもカラオケもファーストフードもない。みんな毎日何して遊んでいるんだろう。やっぱり家に帰ったらネットとかゲームとかしてるのかな。




駄菓子のハッピー

 島の少年少女に一番人気の店がここ、駄菓子屋のハッピーだ。日間賀島のめったに開いてないたこ焼き屋もハッピーだったけど、たぶん関係はない。
 私たちから見ると駄菓子屋というのは昔懐かしいもののリバイバルなのだけど、島っ子にしてみたらリアルタイムの御用達なのだろうか。少なくとも懐かしいという感覚で利用してるわけではないだろう。
 ハッピーを過ぎれば、もう見所らしい見所もなく、あとは高速船の乗り場に戻るだけだ。




船着き場前の広場

 少し時間に余裕があったので、港近くでぼぉーっとしてみる。二島めぐりはなかなかにくたびれる。
 今回は南エリアにはまったく行けなかった。展望台や歌碑公園、清正の枕石や神社仏閣など、あちらにこそ見るべきところが多いのに、どうにも時間が足りなかった。この島を一通り見ようと思えば、4時間くらいは必要だろう。自転車では登れないところもけっこうあるから、散策は自転車と徒歩の併用になる。やや本格的な山歩きも覚悟しないといけないようだ。
 篠島シリーズは、全3回になりそうだ。次回は島の路地と集落を中心にお届けする予定です。
 
 登って下って折れて曲がって篠島路地コレクション <第二回>
 

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