月別:2010年04月

記事一覧
  • これくらいの賑わいでちょうどいいのか悪いのか <関宿・第四回>

    PENTAX K10D+DA 16-45mm f4 / DA 55-300mm f4-5.8 関宿4回目は、残った写真を紹介して、最終回としたい。 関宿は、中央のエリアが中町、東が木崎(こさき)、西が新所(しんじょ)となっている。詳しいことは知らないけど、それぞれ区分が違っていたのだろうと思う。現在、古い家並みがまんべんなく並んでいるものの、端へ行くほど人けもなくなり、静かな佇まいとなる。と同時に、外れになるほど景観への徹底さが弱まっていく。...

    2010/04/30

    観光地(Tourist spot)

  • 古ければなんでもいいというわけじゃない <関宿・第三回>

    PENTAX K10D+DA 16-45mm f4 / DA 55-300mm f4-5.8 古い家並みはよそ者にとっては新鮮に映るけれど、住んでいる人にとっては当たり前の光景で、特別な感慨もないのかもしれない。観光客の私でさえ、1時間も見続けていたらだんだん見慣れてきて、次第に感覚が鈍くなっていった。見飽きるくらいたくさんの古い建物が残っていることがすごいことなのだけど。 関宿3回目の今日は、古びた建物の写真を中心に集めてみた。別にひねくれて...

    2010/04/29

    観光地(Tourist spot)

  • 関宿ってこんな感じのところ <第二回>

    PENTAX K10D+DA 16-45mm f4 関宿の2回目は、駅から再スタートして、関宿についての補足をしながら写真で紹介していきたいと思う。 関駅は亀山の隣で、名古屋から1時間45分くらいのところにある。亀山で乗り換えないといけないのがちょっと面倒ではある。 駅を降りると、そこにはこれといったものはない。典型的な地方の駅前風景で、観光地の玄関口といった感もない。 関宿エリアは、駅の正面の道をまっすぐ7、8分歩いたところ...

    2010/04/28

    観光地(Tourist spot)

  • 良くも悪く観光地じゃない関宿の町並み <第一回>

    PENTAX K10D+DA 16-45mm f4 / DA 55-300mm f4-5.8 伊賀上野をあとにして、関駅に降り立った。 関(せき)というと、刃物の町として知られる岐阜県の関市を思い浮かべてしまいがちだ。だから、最初に関宿(せきじゅく)というのを知ったときは、関市にあるものだと思っていた。実際は、三重県の亀山市にある(合併前は関町)。関東の人なら、関宿城(せきやどじょう)のある千葉の関宿を連想するかもしれない。 関宿は、東海道五...

    2010/04/27

    観光地(Tourist spot)

  • ソフトランディングサンデー料理

    PENTAX K10D+TAMRON 28-75mm f2.8 ぼんやりとしたイメージを抱いて、見切り発車で作った料理は、自分が目指した着地点とは別の場所に不時着する。ソフトランディングのときもあるし、ハードランディングの場合もある。今日は結果オーライの軟着陸だった。 完成図が頭に描けていないと、かなりの確率でイメージとは違う料理が出来上がる。そもそも開始時点から問題がある。希望的観測で、なんとなく上手くできるのではないかとい...

    2010/04/26

    料理(Cooking)

  • 春爛漫の小幡緑地風景

    PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8 伊賀上野シリーズが終わって、一区切りついたところで、ご近所季節ネタを挟むことにした。今日は小幡緑地で撮ってきた写真を紹介します。 何度となく行っている場所で、このブログにもよく登場している。特別なものがあるわけではないけど、行くと何か撮れる場所として重宝している。花や虫などはあまり豊富ではないものの、水風景に変化があるのがいいところだ。水は生き物をはぐくむと...

    2010/04/25

    施設/公園(Park)

  • 昔の面影を残す忍者の町 <伊賀上野・4回>

    PENTAX K10D+DA 16-45mm f4 上野城を見たあとは、伊賀鉄道に乗って戻るため、南出口を目指した。 上の写真は、上野西小学校の校舎だ。もともとの古い木造というわけではなさそうだけど、いい雰囲気を作り出している。 伊賀上野の町は、全体としてのコンセプトがはっきりしていて、景観に統一感がある。城下町と忍者と芭蕉という売りに絞って、特化させた潔さが気持ちいい。 木の外観と桜がよく似合う。コンクリートの冷たい校...

    2010/04/24

    観光地(Tourist spot)

  • 伊賀上野城と忍者の歴史 <伊賀上野・3回>

    PENTAX K10D+DA 16-45mm f4 旧小田小学校をあとにして、上野城へとやって来た。 ちびっこは、近所のひかり保育園の子供たちだろう。先生に連れられて散歩を兼ねたお花見だろうか。子供というのは、意味のない無駄話を大声でするものだと、あらためて思う。ものすごく賑やかで、話に内容がまったくない。そこが面白くて笑えるのだけど。 桜は満開から少し散りかけといったところだった。風に花びらが舞って、子供たちの歓声が上...

    2010/04/23

    観光地(Tourist spot)

  • ギフチョウには出会えなかったモリコロパークだけど

    PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8 / TAMRON SP 90mm f2.8 今日も伊賀上野編をお休みして、季節の小ネタを挟みたい。季節ものを先に片付けておかないと、気になってしまうから、こちらを優先した。 モリコロパークへ行った目的は、ギフチョウだった。去年、初めてギフチョウを見た感動が忘れられず、今年もまた見たいと思っていた。天気が悪い日が続いたり、タイミングが合わなかったりして、少し出遅れた。ただ、去年は18...

    2010/04/22

    施設/公園(Park)

  • 4月の東山植物園写真を挟み込む

    PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8 / TAMRON SP 90mm f2.8 予定通りなら昨日の続きで上野城編になるところではあるのだけど、季節もの優先ということで、一回、東山植物園を挟みたいと思う。旬の花写真などは、早めに出していかないと鮮度が落ちて、情報としての価値も低くなる。季節外れの花写真というのは、なんとなく間が抜けたようになってしまうものだ。 旅シリーズでも桜写真がけっこうあるのだけど、どうせすぐには...

    2010/04/21

    施設/公園(Park)

  • ギヤマンの赤と青が印象に残る旧小田小学校<伊賀上野・2回>

    PENTAX K10D+DA 16-45mm f4 旧小田小学校でもっと印象的だったのが、この色ガラスだった。当時はギヤマンと呼ばれていたものだ。 ギヤマンというのは、オラン語のダイヤモンドのことで、ガラスをダイヤモンドでカットしていたことから転じて、ガラスそのものをギヤマンと呼ぶようになった。必ずしも色ガラスのことではない。色ガラスは明治にはとてもハイカラなもので、近所の人たちはギヤマン学校とも言っていたそうだ。 ガラ...

    2010/04/20

    観光地(Tourist spot)

  • バランスよく仕上がった和食サンデー料理

    PENTAX K10D+TAMRON 28-75mm f2.8 ここのところ洋食系が続いたから、今日は久しぶりに和食を作ることにした。私の料理だから、完全な和食とは言い切れない部分もあるのだけれど、まあ、ジャンル分けすれば和食には違いない。上の3品がそうだ。 左手間は、鯛しゃぶだ。 切り身の鯛を薄く切って、酒、塩、コショウ、ショウガを混ぜ合わせたものを振りかけてしばらく置く。 温めただし汁に、さっとくぐらせて、白くなったら素早く...

    2010/04/19

    料理(Cooking)

  • 伊賀上野は生まれた県のよその土地 <第一回>

    PENTAX K10D+DA 16-45mm f4 JR関西本線、加茂行きの列車に乗って、伊賀上野駅に降り立つ。ここは旅の空の下。知らない町。 行ったのは4月のはじめのことになる。ここのところ桜ネタを優先していて、旅シリーズをなかなか始められないでいた。今後も旬のネタが間に挟まるだろうけど、とりあえず伊賀上野編を開始したいと思う。 伊賀上野という町に対して全国の人がどういうイメージを抱いているのか、よく分からない。伊賀忍者の...

    2010/04/18

    観光地(Tourist spot)

  • 自転車での行き帰りに収穫あり

    PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8 自転車散策のいいところは、目的地への行き帰りに写真を撮れるところだ。車は便利で早いけれど、目的地への移動だけで終わってしまう。今回の東谷山フルーツパーク行きでも、往復の途中にいろいろ写真を撮って、それがひとネタ分になった。移動に時間はかかっても、その時間は無駄にならない。 自転車の楽しさもだんだん分かってきた。もっとあちこちへ行きたくなっている。足とお尻をも...

    2010/04/17

    日常写真(Everyday life)

  • これで今年の桜は終わりかなと思う <東谷山・後編>

    PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8 今日は東谷山フルーツパークの後編をお届けします。 日に日に桜も散っていって、花よりも葉が目立つようになってきた今、桜への気持ちも急速に冷めつつある。信州から北はまだこれから咲いてくるのだろうから、桜の季節が終わったわけではないのだけど、自分のところを過ぎてしまうと、もう桜は済んだものとなってしまう。旅で撮ってきた桜の写真もまだ残っているから、なるべく早く出し...

    2010/04/16

    桜(Cherry Blossoms)

  • 東谷山フルーツパークへ名残の桜を撮りに行く <前編>

    PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8 桜の季節も最終盤となって、名古屋市内は大部分が散り果ててしまった。 ソメイヨシノよりも少し遅く咲くしだれ桜が、東谷山フルーツパークにある。毎年ではないけれど、一年おきぐらいに行っていて、去年は行かなかったから今年は行く番だった。しだれ桜まつりは12日の月曜日までということで、ここの桜ももう出遅れていることは分かっていた。今年の見納めとして最後に名残の桜を撮るた...

    2010/04/15

    桜(Cherry Blossoms)

  • 大曽根から矢田川河川敷を自転車で行く

    PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8 徳川園からの帰り道は、北上して大曽根を通りつつ、矢田川沿いの道を選んだ。大曽根という街は昔から馴染みがなくて、ほとんど行ったことがない。車で通ることさえ稀で、こんな機会でもないと行くこともなさそうなので、寄っていくことにした。 昔の姿もほとんど知らないから、変わったのかどうかさも判断がつかなかった。駅前はわりと小綺麗になっていたから、昔を知っている人にしたら...

    2010/04/14

    名古屋(Nagoya)

  • 徳川園で季節の交代劇を見る <後編>

    PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8 今日は徳川園の後編を。 園内に咲いているのは、コブクザクラ(子福桜)という桜だ。ソメイヨシノとはずいぶん趣が違っている。葉っぱの黄緑が爽やかな印象を与える。 コブクザクラという名前のプレートを見ると、コブクロが森進一のおふくろさんを歌っている姿が思い浮かぶ。コブクロがおふくろさんを歌うことはなさそうだけど。 春と秋の二度咲きで、一つの花から二つの実がなること...

    2010/04/13

    施設/公園(Park)

  • 和の食材で洋食サンデー料理

    PENTAX K10D+TAMRON 28-75mm f2.8 今日は和食にするつもりだったのに、考えている途中でだんだん洋食に傾いていって、最終的には和の食材を使った完全な洋食になっていた。素材は、鯛、里芋、豆腐だから、普通に作れば和食になるはずだ。それが洋食になってしまうのは、なるべく料理らしい料理をしたいという気持ちがあるからだ。 和食は素材をそのまま活かそうとする傾向があるのに対して、洋食は形を崩して食材を材料として扱...

    2010/04/12

    料理(Cooking)

  • 徳川美術館ってこういうところねと <前編>

    PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8 少し前のことになるけど、徳川美術館へ行ってきた。 日本庭園の徳川園はこれまで何度か行っていて、このブログにも登場している。正確に言うと、尾張徳川二代藩主の光友の隠居所跡に、徳川園という公園を作り、その中に徳川美術館と、日本庭園の徳川園がある、ということになる。だから、徳川園に行くというとたいていは日本庭園に行くということになるのだけど、美術館でも庭園でもない...

    2010/04/11

    施設/公園(Park)

  • 海上の森の行き帰りに見つけた風景

    PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8 今日は遠出をして、余力が残っていないので、写真を並べるだけの簡単更新にしたい。 海上の森の行き帰り、自転車に乗りながら見つけた風景だ。 青空と雲を映す街中の小さな流れ。 ほとんどの人が見向きもしない川にも、風景はある。 愛知環状鉄道。 この場所に電車が来たときに撮りたいとずっと前から思っている。まだ念願は叶わない。 違う場所で列車が来た。ロケーションがあまり...

    2010/04/10

    日常写真(Everyday life)

  • 小牧空港を回って戻る帰り道

    PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8 洗堰緑地で桜を見たあと、春日井を回って帰る途中に名古屋空港にも寄っていった。 名古屋空港のことを地元の人間はよく小牧空港と言う。中部国際空港セントレアができる前からだ。私もそう呼ぶことが多い。けれど、よくよく地図を見ると、飛行場の大部分はイチローの地元として知られる豊山町にあって、小牧市は一部でしかないことに気がつく。北は春日井市、南西の一部は名古屋市北区で...

    2010/04/08

    街(Cityscape)

  • 自転車で走りながら切り取る街の風景の断片

    PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8 空き地の片隅に咲くオニノゲシと、転がるスノーブーツ。冬の終わりと春の始まりを感じさせる街の風景だ。靴の落とし主は、片方をなくしたことにまだ気づいていないのだろうか。今年の冬になってやっと、スノーブーツの片方がないことに気づくのかもしれない。まさか冬までここに転がっているということはないだろう。 ここのところ桜を撮りに行ったり、あちこち出歩いたりして、写真の在...

    2010/04/08

    街(Cityscape)

  • 街の風景 ---そこには人がいる

    PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8 今日は街の風景---人編をお送りします。 街を撮るのが好きなのは、そこに人がいるからだ。人間が作り出した風景の中に人間がいるのはごく自然なことで、逆に人がいないと不自然な風景に感じられる。ただ、人が入っていれば何でもいいかといえばそうではない。心惹かれる光景というのはそれほど多くはない。場所と登場人物の幸運な出会いによって街の風景写真は生まれる。撮ったシーンのど...

    2010/04/07

    街(Cityscape)

  • 洗堰緑地の桜トンネル再訪

    PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8 黒川を北上して夫婦橋付近まで行ったところで、桜並木は途切れる。黒川はこの先、北を流れる矢田川の地下を通るためにいったん地上から姿を消す。 次に向かったのは、洗堰緑地(あらいぜきりょくち)だった。 庄内川を真ん中に、南に矢田川、北に新川・新地蔵川が流れるこのあたりの地形は、かなり複雑なことになっている。庄内川は大きな川で、大雨で氾濫すると大変なことになる。南に...

    2010/04/05

    桜(Cherry Blossoms)

  • はじめにギョーザありきのサンデー料理

    PENTAX K10D+TAMRON 28-75mm f2.8 今日のサンデー料理は、焼きギョーザから始まった。なんだか無性に焼きギョーザが食べたくなったのだ。たまにそんなことがある。それなら作ってしまえばいい。ちょうど日曜日だし。 そうなると和食にはならないし、フランス料理系の洋食にもならない。必然的に中華寄りの料理ということになる。 タケノコが残っていたので、それも使うことにした。あとはメインの魚料理ということで、白身魚の...

    2010/04/05

    料理(Cooking)

  • 名古屋も桜満開 ~香流川から黒川へ

    PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8 名古屋の桜も昨日、今日で一気に満開となった。開花からここまで時間がかかったのは、気温が下がったことと雨が多かったからだ。ここ数日は強い風が吹いているから、咲いた桜は早くも花吹雪になって舞っている。満開を過ぎれば、あとは早い。数日で見頃を過ぎて、あっけないくらい簡単に終わってしまう。 近所の桜巡りは今年最後くらいのつもりで何ヶ所か回ってきた。香流川から黒川、洗...

    2010/04/04

    桜(Cherry Blossoms)

  • 街の風景 ---歳月と時代編

    PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8 きれいな花や、美しい自然だけが、撮るべき対象とは限らない。街に出れば心惹かれる被写体がそこここにある。住宅地の片隅、路地の中、駅の裏通り。そんな、人々が見ることなく素通りしてしまう場所に。 街をゆっくり移動しながら、折に触れて撮った写真の中から、今日は歳月と時代をテーマにした写真を集めてみた。基本的に、古いものに惹かれる傾向が強いのだけど、ただ古ければいいと...

    2010/04/03

    街(Cityscape)

  • 海上の森の春はこれから深まってゆく <第三回>

    PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8 / TAMRON SP 90mm f2.8 春の海上の森シリーズ第三回は、残りものの写真を集めて一回分のネタにした。森の外の写真も少しあるのだけど、それはまた別のときに紹介することにしたい。 一枚目は、枯れた綿毛にクモの巣が引っかかって、風に揺れていた。冬の名残の光景でもあり、春の予感を感じさせもした。 まだ虫はほとんど出ていなかった。森の外でモンシロチョウを1匹見たくらいで、小さ...

    2010/04/02

    森/山(Forest/Mountain)

  • 春と冬が半々の海上の森水風景 <第二回>

    PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8 / TAMRON SP 90mm f2.8 春の海上の森第二回は、水風景編ということでお送りします。 3月終盤の森の中は、春らしくもあり、まだ冬でもあるという、半々の状態にある。日差しには春の柔らかさを感じ、色はまだ冬の茶色が支配している。そんな風景の中で、咲き始めた花々によって少しずつ色が戻ってきている。森が総天然色を取り戻すのは5月になってからだ。 水の流れと水紋と光と影。 そ...

    2010/04/01

    森/山(Forest/Mountain)

これくらいの賑わいでちょうどいいのか悪いのか <関宿・第四回>

観光地(Tourist spot)
関宿4-1

PENTAX K10D+DA 16-45mm f4 / DA 55-300mm f4-5.8



 関宿4回目は、残った写真を紹介して、最終回としたい。
 関宿は、中央のエリアが中町、東が木崎(こさき)、西が新所(しんじょ)となっている。詳しいことは知らないけど、それぞれ区分が違っていたのだろうと思う。現在、古い家並みがまんべんなく並んでいるものの、端へ行くほど人けもなくなり、静かな佇まいとなる。と同時に、外れになるほど景観への徹底さが弱まっていく。
 江戸時代後期の記録によると、本陣が2軒、脇本陣が2軒、旅籠42軒、飲食店が99軒もあったというから、大きな宿場であったことが分かる。各地への旅人が集まる場所であり、参勤交代の一行が泊まるところでもあったから、かなりの賑わいだったことが想像できる。狭い道を人や馬や籠がせわしなく行き交っていたのだろう。

関宿4-2

 景観保存地区に指定された昭和59年以前に一度訪れてみたかった。その頃は今よりももった荒れた印象だっただろうけど、かえって魅力的に映ったんじゃないかと思う。今は小綺麗に化粧が施されて、全体的に平板な感じになってしまっている。どの程度整備すればいいのかというのも、難しい問題ではある。

関宿4-3

 懐かしい牛乳受け箱。今でも朝配達されてくるのだろうか。最近は牛乳配達の姿はあまり見ないようになった。全国でどれくらい稼働しているのだろう。
 何故か箱には山口県酪とある。

関宿4-4

 民家のガレージというか、屋根付きの庭というか。
 道沿いの家は、さほど間口が広くないから、どの家も奥行きがけっこうありそうだ。二階建ての家も少なく、平屋が多い。

関宿4-5

 東のだいぶ外れの方の家。古い家屋と普通の住居の中間くらいな感じ。

関宿4-6

 電気店でさえ周囲に気遣ってこんな店構えになっている。地元の人間はどこに何の店があるか分かっているから困ることはないのだろうけど、それにしても営業的にはプラスにはならないのではないか。何しろ、どの店も目立たない。目立ったらダメみたいな雰囲気がある。

関宿4-7

 ここは確か、パン屋さんか食料品屋さんだったと思う。
 ヤマザキパンの看板が出てるけど、三重県は長栄軒じゃないのか? あれは松阪ローカルなのか。松阪と亀山では文化圏が違うから、いろいろな違いがありそうだ。
 三重の田舎では必ず長栄軒のパンで、あれがけっこう美味しかった記憶がある。いまどきのモチモチふわふわした食感ではなく、ややパサついた感じが好きだった。

関宿4-8

 古い町並みにはツバメがよく似合う。4月に渡ってきたツバメは、民家の軒先に巣を作って、5月には子供も生まれる。この日もたくさんのツバメが町並みの上を飛び交っていた。

関宿4-9

 守り神のようなものなのか、二階に鳥の彫刻がつけられている。他にもいろいろな種類があるようだけど、見つけられなかった。

関宿4-10

 ようやくちょっとした水の流れを見つけた。
 関宿は地形的には南北に鈴鹿川と小野川という二本の川が流れているけど、町並みの中に水気がなさすぎるように感じた。歩いていて心地いい場所には必ず水がある。自然の川だったり、水路だったり、井戸だったり、人は水に惹かれ、水は人に安らぎを与える。
 側溝に水を流すことは無理なのかもしれないけど、各家庭で打ち水をするとか、軒先に水に関するものを置くとか、何かした方がいいと思う。そうすれば、もっと人が集まってくるんじゃないだろうか。

関宿4-11

 民家の庭に置かれた謎のオブジェ。クマにまたがっているのは金太郎だろうか。
 白い衣装で手におむすびを持っているのは誰だ。周りを動物が取り巻いているようにも見える。

関宿4-12

 延命寺の三門は、川北本陣の門を移築したものだそうだ。

関宿4-13

 福蔵寺。このあたりも中までは入らなかった。
 会津屋(山田屋)生まれの小萬の墓があるらしい。

関宿4-14

 関宿というのは面白みに欠ける優等生のようなところだ。これだけの町並みを残しながらメジャーな観光地になっていないのは、何かが足りないということで、その物足りなさは実際に訪れてみるとなんとなく感じるものだと思う。すごく可能性があるのに活かしてきれていない。もう少しいい意味で俗っぽくてもいいんじゃないか。
 馬籠のように観光地としての洗練さがなく、妻籠のようなタイムトリップ感がない。外観は古いのに、空気感が日常的なのだ。だから、高山のような情緒がない。
 一時期寂れていて徹底した町作りによって再生した長浜の黒壁スクエアのような例もある。観光地になることが必ずしもいいことではないにしても、これほど歴史的な価値も高いものが残っている町だから、もっと大勢の人に訪れてもらいたいと思う。町の人たちの協力態勢も整っているようだし、もう一工夫すれば、更なる賑わいを見せる日がやってくるような気がする。NHKドラマの舞台になったりすると効果覿面なのだけど。
 有名人の生家があるとか、そういった幸運に恵まれなかったというのはある。何か一つでも売りになるような決定打が欲しい。そういえば、花や緑も少なかった。
 町の住人にしてみれば、今でもうるさいくらいだから、このまま静かに過ごさせて欲しいといったところなのかもしれないけれど。

古ければなんでもいいというわけじゃない <関宿・第三回>

観光地(Tourist spot)
関宿3-1

PENTAX K10D+DA 16-45mm f4 / DA 55-300mm f4-5.8



 古い家並みはよそ者にとっては新鮮に映るけれど、住んでいる人にとっては当たり前の光景で、特別な感慨もないのかもしれない。観光客の私でさえ、1時間も見続けていたらだんだん見慣れてきて、次第に感覚が鈍くなっていった。見飽きるくらいたくさんの古い建物が残っていることがすごいことなのだけど。
 関宿3回目の今日は、古びた建物の写真を中心に集めてみた。別にひねくれているわけではないのだけど、人が住まなくなって崩れかけている家屋に惹かれて、そういうところをよく撮る。何故そこに惹かれるのかという自己分析はあまりちゃんとできていなくて、なんとなく好きとしか説明のしようがない。強いて言えば、流れた歳月を思うからなのだろうけど、古ければなんでもいいというわけではなく、いいと思うものもあり、感じるものがないものもある。自分でもよく分かっていない。

関宿3-2

 看板の感じといい、窓に貼られた魚のシールといい、昭和の感覚が色濃い。
 これから30年くらい経ったとき、平成初期というのはどんな感じの懐かしさとして捉えることになるのだろう。今最先端のものがどんな風に古びるのか、今はまだ想像がつかない。

関宿3-3

 キユーボシ醤油というのは聞いたことがない。ユは小文字ではなく大文字だというところにも古めかしさを感じる。
 地元の蔵で醸造していたものだろうか。下津醸とあるから調べてみると、津市一身田町にあった蔵で造られたしょう油のようだ。創業安政三年(1856年)というから歴史のあるところだったのだ。
 昔は、各地にしょう油の醸造所がたくさんあった。今は大手が造ったものがスーパーで売られるのが当たり前になっているけど、少しだけ小さな醸造所もある。

関宿3-4

 精肉店の看板は、錆び放題でかなりの風合いを出している。今更ペンキを塗り直してピカピカにしてしまったら、周囲の景観と合わなくなるから、これはこれでいいのかもしれない。

関宿3-5

 人が住まなくなった廃屋というのは、必ずしも死を意味しない。ゆっくりと崩壊していくとしても、建っている以上はまだ生きている。その踏ん張っている感じが好きとも言えそうだ。

関宿3-6

 おばあちゃんがやっているたばこ屋なんてのも、今はほとんどなくなった。自販機に取って代わり、たばこのカードがないと買えないような時代だ。喫煙者もどんどん減っていって、今度の大幅な値上げでますますたばこ離れが進みそうだ。
 私も昔はたばこが好きでよく吸っていた。もうやめて久しいから、人が吸ってるたばこの煙は苦手になったけど、文化やスタイルとしてたばこは存在していいと思っている。
 時代が進むにつれて、詰まらなくなっていく部分というのも、確かにある。

関宿3-7

 廃業して久しい様子のお店屋さん。たばこの文字が右書きで、「こばた」になっている。その下にはTABAKOとローマ字でふりがながふってある。ひらがなとローマ字が合ってない。英語表記するなら、TABACCOとなる。今更そんなところを指摘してもしょうがないのだけど。

関宿3-8

 時計店の文字の下に、別の店名の文字がうっすら残っている。おかげで時計店の文字が浮き上がっているように見える。まさかとは思うけど、特殊効果を狙ったのか。

関宿3-9

 古い家屋が軒を連ねている様子。
 みんなが道の方を向いて行儀よく一列に並んでいる姿は、なんとなく面白く感じられる。現在の町並みは、道路に面しているといっても、奥行きや高さはそれぞれで統一感がない。ここは高さも前面もほとんど揃っていて、それがずっと続いている。
 実際に住んでみると、なんとなく違和感を覚えそうな気がする。

関宿3-10

 黒く塗られたトタンの高い家と、奥へ続く細い路地。こんな光景をいつかどこかでも見た気がする。たぶん、あちこちで同じような風景を見ている。そこに毎回惹かれて、毎回撮っているから、既視感を覚えるのだ。

関宿3-11

 かつての旅籠玉屋の内部を、有料で見学できるようになっている。
 あとから振り返ったとき、せっかくだから見ておけばよかったと思うことが多いけど、現地ではたいてまあいいやとなる。

関宿3-12

 こちらは、鶴屋の跡。
「関で泊まるなら鶴屋か玉屋」とうたわれた関宿を代表する旅籠だったようだ。

関宿3-13

 格子造の一階に、洋風の二階が乗っている。ちょっと珍しいスタイルの和洋折衷だ。
 二階もアーチの奥に格子が見えているから、外観に洋風の壁を貼りつけただけかもしれない。

関宿3-14

 目薬オガナかと思ったら、ナガオ薬局だった。
 株式會社塩野義商店特約とあるから、今のシオノギ製薬と特約店契約を結んでいたのだろう。
 当時の薬品名を見ると、ヂキタミン、ドルミン、ラキサトール、ポンホリン、オイロ、カヴィドールなどというのが並ぶ。薬品名からどんな薬なのか、まったく見当がつかない。

関宿3-15

 古そうなホンダのバイク。
 プラッシーのケースも懐かしい。米屋で売っていたオレンジジュースだったか。

 関宿は撮るものがたくさんあって、写真の枚数が増える。それでも、そろそろ先へ進まないといけないから、次回で最終回としたい。
 第4回につづく。

関宿ってこんな感じのところ <第二回>

観光地(Tourist spot)
関宿2-1

PENTAX K10D+DA 16-45mm f4



 関宿の2回目は、駅から再スタートして、関宿についての補足をしながら写真で紹介していきたいと思う。
 関駅は亀山の隣で、名古屋から1時間45分くらいのところにある。亀山で乗り換えないといけないのがちょっと面倒ではある。
 駅を降りると、そこにはこれといったものはない。典型的な地方の駅前風景で、観光地の玄関口といった感もない。
 関宿エリアは、駅の正面の道をまっすぐ7、8分歩いたところから始まる。馬籠や妻籠なんかよりもよっぽど交通の便はいいし、大型バスをとめるような空き地はたくさんありそうだから、もう少し賑わいがあってもよさそうに思う。
 駅前の道と関宿の通りは直角に交わっていて、そこから東に500メートルちょっと行ったところに東の追分があり、西に約1.3キロのところに西の追分がある。端から端まで見るなら、往復することになるから3.6キロほど歩くことになる。私は東の追分を見て、西の追分の手前まで行って戻った。裏道を歩いたりもしたから、やっぱり3キロくらいは歩いたと思う。だいたいの雰囲気を味わいたいというのであれば、まずは東の追分まで行って、西は地蔵院あたりまで行って引き返すのがいい。

関宿2-2

 関のマンホール蓋。関宿の町並みと旅人が描かれている。

関宿2-3

 関宿エリアの手前からプロローグは始まっている。積まれた石垣の上に黒板の家屋というのも、なかなか趣がある。普通の町にあればこれだけで嬉しいところだけど、何しろ関宿は古い建物には事欠かないところなので、一軒いっけんは全体に埋もれて、個別の印象をあまり残さない。飽きるほど撮れるし、実際途中から見飽きてくる。

関宿2-4

 軒先に薪が積まれている。風呂を薪で沸かしているのか、かまどでもあるのか。それにしては数が少ないから、よく分からない。
 母方の祖父母の家では、私が子供の頃まで五右衛門風呂で、薪で風呂を沸かしていた。夏休みなどに遊びに行くと、よく手伝いをした。あれはけっこう楽しい作業だった。

関宿2-5

 ここが関駅から歩いてきたときの関宿入口になる。古めかしい自転車がお出迎えしてくれて、想像以上の古い町並みに驚くことになった。
 ただ、妻籠に初めて立ったときのおおおっという衝撃はなく、ほほうという感じではあった。感動と感心は別の感情だ。

関宿2-6

 雰囲気を盛り上げるための小道具として、お店ではこんな木の看板を出している。
 ここは美容院で、御髪結処とある。赤白青のぐるぐる回っているようなやつも置かれていない。極力雰囲気を壊さないようにという配慮がされていて、そのあたりの姿勢にとても好感が持てる。エアコンの室外機がむき出しになっているような無神経なこともしていない。

関宿2-7

 ポストも昔の形状のものを使っている。書状集箱というのが、ポストの昔の名前だった。
 赤い丸ポストが登場したのが明治34年で、それまで書状集箱は黒くて四角かった。最初に書状集箱が置かれたのは、明治4年のことで、東京、京都、大阪の他、東海道の各宿場に設置された。

関宿2-8

 非常に懐かしさを覚える店の佇まいだ。小学生くらいのときは、こんな店がよくあった。ペプシを飲んだり、アイスを買って食べたものだ。ガチャガチャやコインゲームがあったのも、こういう店だった。

関宿2-9

 関宿の通りから少し奥に入ったところにあって、あまり人が訪れている様子のない関神社。
 初めて行く場所ではその土地の神様に挨拶をするのが礼儀だろうということで、ちょこっと寄っておいた。
 昔は熊野皇大神社と呼ばれていたというから、熊野信仰の神社のようだ。
 天照大神の他、30以上の神様が祀られている。願い事をしたら、その中の誰かは叶えてくれそうなくらい数は揃っている。

関宿2-10

 関まちなみ資料館は、町屋の内部を公開しているところで、旅籠玉屋歴史資料館と共通で300円となっている。
 この程度のお金は使っていって欲しいという関宿側の思いは理解できるし、観光客からするとうーん300円かと迷ってしまう気持ちも分かる。たかが300円だけど、家の中を見るだけで300円の価値があるのかと考えてしまう。
 別々にしてそれぞれ100円にした方が入る人は増えるんじゃないかと思うけどどうだろう。

関宿2-11

 関の山の語源となった山車が格納されている山車蔵。最盛期は16台の豪華な山車があったそうだ。現在は4台残っている。

関宿2-12

 復元された高札場。
 江戸時代の掲示板で、宿場の決まり事や、幕府からのお達しなどが書かれていた。
 ちなみに、江戸時代の日本人は世界一の識字率だったといわれている。中期以降、男性で60パーセント程度というのは、同時代のロンドンの20パーセント、パリの10パーセントと比べてもはるかに高い。
 幕末頃には男性で70パーセント、女性で20パーセントくらいだったと考えられている。武士はほぼ100パーセントで、地方の農民などは20パーセントほどというから、お伊勢参りをしていた旅人のどれくらいが字を読めたのかはよく分からない。誰かが読めれば、その人に聞けばいいだけだから、さほど問題はなかったのだろうけど。

関宿2-13

 古い看板がとても格好いい。電話は十一番で通用したようだ。
 電話のサービスが始まったのが明治23年で、最初の頃は公共の施設とか、店とか、大金持ちとかだけだから、番号は二桁で事足りていた。
 一般市民まで電話が普及するのはずっとあとになってからだ。昭和40年代頃までは、一般家庭でも電話がない家はけっこうあった。街中でみんなが小さな電話を持って話しをしている光景なんてのは、つい20年くらい前までは想像もできなかった。

関宿2-14

 ツアー客なのか、ガイドさんがする説明を聞いている集団がいた。観光地らしい光景を見て、なんとなくちょっとホッとした。

関宿2-15

 西エリアの新所地区は、地蔵院がクライマックスとなる。
 開基は行基で、創建が741年というから古い。
 本尊の地蔵菩薩座像は現存する日本最古の地蔵菩薩で、一休さんで知られる一休宗純が開眼供養をしたと伝えられている。
 本堂、鐘楼、愛染堂は国の重要文化財に指定されている。

関宿2-16

 父の仇討ちで有名な関の小萬の生家といわれても、関の小萬という人をまったく知らないので、ありがたみは薄い。
 かつては山田屋という旅篭だったそうで、現在は会津屋という名前で食事処になっている。
 店構えは雰囲気があって、花もいろいろ咲いていて華やかだ。

 写真はまだまだあるけど、今回はここまでとしたい。
 第3回につづく。

良くも悪く観光地じゃない関宿の町並み <第一回>

観光地(Tourist spot)
関宿1-1

PENTAX K10D+DA 16-45mm f4 / DA 55-300mm f4-5.8



 伊賀上野をあとにして、関駅に降り立った。
 関(せき)というと、刃物の町として知られる岐阜県の関市を思い浮かべてしまいがちだ。だから、最初に関宿(せきじゅく)というのを知ったときは、関市にあるものだと思っていた。実際は、三重県の亀山市にある(合併前は関町)。関東の人なら、関宿城(せきやどじょう)のある千葉の関宿を連想するかもしれない。
 関宿は、東海道五十三次、47番目の宿場町で、東は伊勢街道、西は大和街道の分岐点でもあり、かつては交通の要所として大変な賑わいを見せた宿場だった。
 古代には越前の愛発(あらち)、美濃の不破(ふわ)とともに三関といわれた伊勢鈴鹿の関が置かれた場所でもあり、壬申の乱のときは大海人皇子(後の天武天皇)がここを通って美濃へ至り、鈴鹿の関を固めたという歴史の舞台にもなった。関という名前は、この鈴鹿の関から来ている。家康が伊賀越えをしたときも、服部半蔵正成とともにこの道を通って三河に逃げ延びていった。
 のちに東海道は、国道1号線として整備されたため、昔の面影を残す宿場町はほとんどない。関の場合は、南へ迂回する恰好で新たに道が作られたため、宿場町は手つかずのまま残ることになった。東海道の宿場の中では、関宿だけが国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。
 予備知識をあまり持たないまま行ってみると、想像以上に古い家並みが残っていて驚くことになった。規模としては、木曽路の馬籠や妻籠宿をはるかに越えている。約1.8キロの間に、古い町家が200軒ほど残っており、片っ端から撮っていったら、撮っても撮ってもキリがなくて、途中で飽きたほどだった。
 これほど大量に古い家並みが残っているところはそうはない。飛騨高山よりも質は高いくらいなのに、まるで観光地になっていない。ただただ時代に取り残されたといった風情で、不思議なほどの日常感に観光客の私はかえって戸惑うことになった。何故流行らないのかという理由については、個人的に思うこともあったので、このシリーズの中で折に触れて書いていきたいと思う。
 とにかく多くなった写真をどうするかを考えないといけない。使えるものを全部出していたら、関宿だけで7回くらいになってしまう。まだまだネタの在庫がだぶついてるし、なんとか3、4回にまとめたい。
 そんなわけで、とりあえず関宿シリーズをスタートさせることにする。

関宿1-2

 関の山という言葉は、ここ関宿から来ている。
 せいぜいそれくらいが関の山のような使われ方をしているけど、もともとは関宿の夏祭りに使われた山車(やま)が大変立派なもので、もうそれ以上のものはないという意味で関の山という言葉が使われるようになったとされる。

関宿1-3

 古い家屋が残るといっても、飛びとびに残っているだけで、新しい家とミックスになっているところがほとんどなのに、ここは申し合わせたように古い家が並んでいる。
 重要伝統的建造物群保存地区に指定されたのは昭和59年のことで、それ以降は勝手に改築できないようになったとはいえ、そこまで残っていたことに驚く。この残り方というのは、少し不自然というか、違和感があった。悪い意味ではないのだけど、自然な時代の流れで普通はもっと変化していくはずなのに、ここは時の流れが際立ってゆるやかなのか、残したというよりも残ってしまったといった感じを受けた。
 もちろん、保存指定されてからは古い家屋を残すために大変な努力があるのだとは思う。店舗なども昔の姿風の外観にしているし、電柱と電線を地下に入れて非常にすっきりした景観となっているのは良い。
 ただ、なんというか、気の流れがよくないというのか、時間の流れが滞っているような印象を受けた。そこが一つ、人があまり集まってこない原因にもなっているのではないかと思ったりもする。町並みの中にきれいな水の流れがないのも少し気になった。

関宿1-4

 それにしても、この古いたたずまいは魅力的だ。江戸時代でもあり、昭和でもある。宿場町としてよりも、こういう昭和の部分に惹かれる部分が多かった。自然と笑みがこぼれる。

関宿1-5

 宿場町としての名残もあちこちにある。郵便ポストもこの通り。

関宿1-6

 東の追分は、伊勢街道との分岐点で、大きな鳥居が建っている。お伊勢参りの人はここで伊勢街道に入り、神宮を目指すことになる。
 この鳥居は式年遷宮のときに伊勢神宮の古い鳥居を移築したものだ。次の式年遷宮のときも、交換される。
 伊勢神宮の外宮までは15里(60キロ)。江戸時代の人はお伊勢参りのとき一日40キロくらい歩いたというから、一日半の道のりだ。女の人でぎりぎり2日で行けるかどうかといったところか。

関宿1-7

 どんな町へ行っても、狭い路地を見つけると入らずにはいられない。ノラ猫的な習性だ。

関宿1-8

 白と黒の蔵。
 神社の朱塗りと、蔵の白黒には強く惹かれる。感覚的なものなのだけど。

関宿1-9

 2匹の猫がのんびりくつろぎ中。
 猫のいる町はいい町という個人的な判断基準がある。せわしくて世知辛い世の中だけど、ノラ猫くらいはのんきに過ごせる町であって欲しい。

関宿1-10

 この日は平日ということもあって、観光客はごく少なめ、たまに見かける程度だった。魅力のわりに知名度が低すぎる。三重県生まれでこれだけあちこち出歩いている私でさえ、ここの存在を知ったのはわりと最近のことなのだから、東海三県以外で関宿を知っている人がどれだけいるか。

関宿1-11

 他とは違う変わった雰囲気の建物もたまにある。これは何屋さんだったのだろう。タイルの感じは銭湯っぽい。入口が二つだから、男湯と女湯だろうか。

関宿1-12

 古い家屋を利用したギャラリーや飲食店などが何軒かある。観光地にありがちなおみやげ屋のたぐいはほとんどない。
 昔の町並みは残しても、あまり観光地にしたくないというのが、関の住人の本音かもしれない。

関宿1-13

 たぶん駄菓子屋さんみたいな店だと思う。お菓子を買ってもらった女の子が嬉しそうに出てきたから。
 どこも格子の町屋風の家屋で、一見すると何屋さんかよく分からなかったりする。

関宿1-14

 関宿の日常的光景。
 週末や夏休みなどがどんな状態になるのか想像がつかないのだけど、春休みの平日はこんな風だと思われる。生活と観光の割合でいうと、9対1くらいだ。
 狭い道路なのに車の交通量が多い。このエリアの住人ではなさそうで、地元の人間が1号線の抜け道として利用しているのだろうか。

関宿1-15

 おやじさん二人が仲良しそう。

関宿1-16

 1回目はここまでとして、次回に続くということにしよう。

ソフトランディングサンデー料理

料理(Cooking)
少しイメージずれサンデー

PENTAX K10D+TAMRON 28-75mm f2.8



 ぼんやりとしたイメージを抱いて、見切り発車で作った料理は、自分が目指した着地点とは別の場所に不時着する。ソフトランディングのときもあるし、ハードランディングの場合もある。今日は結果オーライの軟着陸だった。
 完成図が頭に描けていないと、かなりの確率でイメージとは違う料理が出来上がる。そもそも開始時点から問題がある。希望的観測で、なんとなく上手くできるのではないかという予測は、たいがい外れる。頭の中ではもっと美味しそうな予想図を描いているのに、完成品を見るとなんとなく違う。雑誌でモデルが着ていた服を買って自分が着てみた感じとでも言おうか。現実はそんなに甘くない。
 でもまあ、最近、まずいものはなくなった。どれも美味しく食べられているから、その点では成長しているという実感がある。自分の好きな味付けで作ってるし、嫌いなものは作らないから、嫌なおかずは当然ない。失敗するとすれば、味付けが濃すぎたときくらいだ。今日は全体的なバランスも、まずまずよかった。

 手前は、マグロのカレー味照り焼きみたいな料理だ。
 酒、しょう油、みりん、白だし、ショウガ、塩、コショウのたれに、マグロの切り身をしばらく浸ける。
 ビニール袋に、カタクリ粉とカレー粉、取り出したマグロを入れ、よく振って粉をまぶす。
 オリーブオイルでタマネギを炒め、しんなりしたらマグロとトマトを入れ、たれを回し入れて炒めていく。
 マグロがごちそうになる一品なので、オススメしたい。カレー粉が効いている。

 右はなんと呼んだらいいのか分からない料理なのだけど、基本は豆腐料理だ。
 キャベツとニンジンをごま油で炒める。
 そこへある程度水切りした絹ごし豆腐、エビ、ワンタンの皮を加える。
 酒、みりん、白だし、水を入れて、しばらく煮込む。
 中華の素、塩、コショウ、白ごま、刻んだ大葉、唐辛子、ラー油で味付けをする。
 なんとも形容しがたい料理ではあるけど、けっこう美味しかった。

 奥はイメージから大きくずれた完成となった。
 ジャガイモのたこ焼き風といったようなものを作ろうとして、上手くいかなかった。
 皮付きのままジャガイモをラップでくるんで、何ヶ所か穴を開ける。まず3分、その後ひっくり返して3分くらい加熱する。竹串が通るくらい柔らかくする。固い場合はレンジの加熱を追加する。
 ジャガイモの皮を剥いて、つぶす。
 溶き卵、マヨネーズ、小麦粉、パン粉、とろけるチーズ、青のり、塩、コショウ、ダシの素と、つぶしたジャガイモをよく混ぜ合わせる。
 それを団子にして焼こうと思っていたら、思いのほか柔らかくて丸くできなかった。仕方がないのでスプーンですくってフライパンで焼くことにした。
 たれは、酒、みりん、しょう油、砂糖、ソース、塩、コショウをひと煮立ちさせたものをかける。上にかつお節とマヨネーズをかければ完成だ。
 ふわふわ食感で私好みになったから、これはこれでよかったのだけど、せっかくならもう少し見た目をなんとかしたかった。丸くするのはあきらめて、いっそのことお好み焼きみたいにした方がよかったかもしれない。

 料理なんて腹に入ってしまえば同じ、と言ってしまうと身も蓋もない。料理は目でも楽しむものだという意見に賛同したい。上品な料理を作るには、まだまだ修行が足りないことを痛感する。
 今後も楽しみながら、でも上達を目指して、サンデー料理を続けていきたい。

春爛漫の小幡緑地風景

施設/公園(Park)
小幡緑地-1

PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8



 伊賀上野シリーズが終わって、一区切りついたところで、ご近所季節ネタを挟むことにした。今日は小幡緑地で撮ってきた写真を紹介します。
 何度となく行っている場所で、このブログにもよく登場している。特別なものがあるわけではないけど、行くと何か撮れる場所として重宝している。花や虫などはあまり豊富ではないものの、水風景に変化があるのがいいところだ。水は生き物をはぐくむというだけでなく、人の心にも良い作用を及ぼす。写真を撮る場合でも、水があることで可能性が広がる。今回も、何枚か水辺での印象的なシーンを撮ることができた。
 季節は春から初夏へ移りつつあることを実感する。少し前まで茶色だった風景も、今や圧倒的に緑色が支配している。光を透かす新緑のライトグリーンが、眩しいほど鮮やかに目に映る。

小幡緑地-2

 波打ち際というのは海だけの風景じゃない。小さいながら池にもある。波の形は移ろい続け、とどまることがない。ゆらゆら揺れながら、ときどき白く光を反射させる。

小幡緑地-3

 居残ったホシハジロが1羽、のんきに毛繕いなどしながら池に浮いていた。
 4月も終わろうかというこの時期まで日本にとどまっているのは、いくらなんでものんびりしすぎじゃないか。仲間はみんな北へ渡ってしまったはずだ。そろそろ向こうでは繁殖の時期になっている。
 何か渡りそびれた理由があるのか、面倒で渡るのをやめてしまったのか。ちょっと心配になった。

小幡緑地-4

 おびただしい数のオタマジャクシが小さな池の中でうごめいていた。
 もっとすごい集団で黒いカタマリになってうねうねしているところも撮ったのだけど、写真を見たらあまりにも気持ち悪すぎて採用しなかった。オタマジャクシも度を超した数だと不気味だ。数万とかいう単位だと思うけど、こんなにも全部カエルになるんだろうか。サギのエサとかになって数を減らすのか。

小幡緑地-5

 水に沈んだ枯れ葉も少なくなった。冬の間に沈んでいた大量の葉っぱはどこへ行くのだろう。桜の花びらも、もうあまり見ない。
 目まぐるしく変化する自然のサイクルの、ごく表面的なことしか知らない。

小幡緑地-6

 昼の空に浮かぶ白い半月。まわりのピンクと赤は、ハナミズキ。

小幡緑地-7

 今シーズンの初トンボ。何トンボか確かめようと近づいたら、飛んで逃げてしまった。
 そろそろ、虫たちの姿も増えてきた。

小幡緑地-8

 前も見たかわいい顔をした猫と再会した。このときはカリカリを持っていくのを忘れていた。それを見透かしたのか、目が合ったら駆け去っていった。ファインダー越しにあとを追うと、離れた茂みに隠れてしまった。
 ふと横を見ると、猫を手なずけている人がいた。次はカリカリを忘れずに持っていこう。モデル代を持参するのを忘れては撮らせてもらえない。

小幡緑地-9

 大きくて丸い顔をした茶トラが好きだ。こいつなども私の好みで、見ると嬉しくて笑える。本人は撮られていることを知って知らずか、日向で一心不乱に顔を洗っていた。顔を洗うときの手つきがまたいい。

小幡緑地-10

 何の木だろう。実を食べにメジロがやって来て、盛んにさえずっていた。
 そろそろ夏鳥のシーズンだから、何か嬉しい出会いがあることを期待したい。近くからオオルリを撮るというのが、ここ数年の夏の目標になっている。

小幡緑地-11

 トレーニングをしてた学生たち。わー、もう半袖か、と思う。ここのところ、まだ少し肌寒いのだけど。

小幡緑地-12

 そろそろ川にも入れる季節になったようだ。子供たちが川で何かをとっていた。
 それにしても、やっぱり子供は元気だ。暑さ寒さに関する感覚が大人とは違う。

小幡緑地-13

 黒いコウモリを差す学校帰りの女子高生。降水確率は低かったから、紫外線対策の日傘なのだろう。時代は変わったんだと、あらためて思った。確かに、若い頃から焼かない方が肌にはいいに違いない。

小幡緑地-14

 帰り道の矢田川で見たワンシーン。置かれたブロックの上を歩いて渡る人。手に何か持っている。何をしていたのだろう。

小幡緑地-15

 河原の芝生も、いつの間にか緑色になっていた。季節の変化に対する自然の反応は素早くて、人の感覚はひどく鈍い。変化が終わってからようやく気がつく。

 来週からは伊賀上野の続きで関シリーズを始めたいと思っている。

昔の面影を残す忍者の町 <伊賀上野・4回>

観光地(Tourist spot)
伊賀上野2-1

PENTAX K10D+DA 16-45mm f4



 上野城を見たあとは、伊賀鉄道に乗って戻るため、南出口を目指した。
 上の写真は、上野西小学校の校舎だ。もともとの古い木造というわけではなさそうだけど、いい雰囲気を作り出している。
 伊賀上野の町は、全体としてのコンセプトがはっきりしていて、景観に統一感がある。城下町と忍者と芭蕉という売りに絞って、特化させた潔さが気持ちいい。

伊賀上野2-2

 木の外観と桜がよく似合う。コンクリートの冷たい校舎よりも、こんな校舎の方が小学生にとってもいい影響を与えそうだ。
 ここは小中高と学校が隣接している場所で、隣には上野高校、その横には崇廣中学が並んでいる。
 上野高校では三重県の有形文化財に指定されている明治時代の校舎が今も使われている。上野高校は公立の進学校で、卒業生に平井堅や椎名桔平、麻耶雄嵩などがいる。平井堅は高校時代からあんな濃い顔をしてこの高校に通っていたんだろうか。

伊賀上野2-3

 この日はちょうど入学式の日で、いいシーンに出会うことができた。
 今年は桜が長持ちして、満開の桜の中で入学式を迎えた。親子とも、印象深い一日になったんじゃないだろうか。

伊賀上野2-5

 上野公園と学校の入口を兼ねた白鳳門。これも古いものではなく、平成9年に地元の建設会社が寄贈した模擬城門だ。

伊賀上野2-4

 門の正面にある菓子店。学校前の一番いい位置にあるから、昔から学生たちが集まる店だったんじゃないだろうか。この日はシャッターが閉まっていた。まだ春休みということで休んでいたのか、それとももう廃業してしまったのか。

伊賀上野2-6

 上野市駅は、線路を渡って、左に折れて、100メートルほど歩いたところにある。遅刻ギリギリのときはこの距離がもどがしいだろう。校門の前で、おーい、走れ-、と呼ぶ教師の声が聞こえそうだ。

伊賀上野2-7

 上野市駅前には、芭蕉の像が建っている。おくのほそ道のときの旅姿をイメージしているのだろうか。
 芭蕉が生まれたのは、1944年。関ヶ原の合戦から44年経って、世の中は平和な時代になっていた。
 芭蕉の父は、準武士待遇の農民である無足人で、芭蕉は次男だったから、家を出なければならなかった。母親は百地の出ということで、これも芭蕉忍者説の一つの根拠になっている。
 使用人をしているときに俳句の手ほどきを受けて俳句に目覚め、29歳のときに初めての句集『貝おほひ』を出す。
 俳諧師を目指して江戸に出たのが29歳。職業として俳諧師となったのが35歳だった。おくのほそ道の旅は、46から47歳のとき。享年は51歳。遺言通り、大津の義仲寺にある木曾義仲の墓の隣に葬られた。そういえば、義仲寺を訪れたのは去年の春だった。一年後に生まれ故郷を訪ねることになるとは、何か因縁があるのかもしれない。

伊賀上野2-8

 昔ながらのそば屋の佇まいに惹かれるものがあった。子供の頃、母方の祖母がこんなうどん屋をやっていた。
 このときは気づかず、写真を見て気づいたのだけど、左下に忍者丼とある。忍者丼って、どんなものだろう。

伊賀上野2-9

 駅前は昭和の面影をとどめるさびれっぷりで、今の時代はどの地方駅もこんなもんだよねと思う。
 地方が元気を取り戻す時代は二度と来ないのだろうか。

伊賀上野2-10

 伊賀鉄道の伊賀線は、2007年に近鉄から引き継いだ独立の路線で、近鉄の子会社となっている。
 車両は近鉄時代のものがそのまま使われている。昔からの860系は近鉄から借りているもので、新しい200系は伊賀鉄道所有のものらしい。どれがそうなのかはよく分からない。写真の小豆色と白の車両は、近鉄カラーだ。奥の小豆色一色のも近鉄だろうか。

伊賀上野2-11

 伊賀鉄道の売りは、なんといってもこれ、忍者の絵が描かれた忍者列車だ。ジョークのようだけど、いたって真面目で、なんといっても銀河鉄道999でお馴染みの松本零士がデザインしている。13年も前から走っているというから、すっかり定着しているようだ。上のものはピンクのくのいち号だ。切れ長で長い睫毛は、メーテルを思わせる。
 でもやっぱり、実物を見ると笑える。

伊賀上野2-12

 朝夕は学生や勤め人で混み合うのだろうけど、昼間はこんな感じ。
 JR関西本線の伊賀上野駅と、近鉄大阪線の伊賀神戸駅とを結んでいる。

伊賀上野2-13

 伊賀上野駅は、JRと伊賀鉄道が共有していて、同じホームから別々の電車が出ている。
 青い車両は、JR普通列車の加茂行きだ。加茂というのはまったく馴染みがなくて、どのあたりなのかもイメージできない。
 地図を見ると、奈良に近い京都の南だ。一つ先には木津駅があって、何本か線が交わっているからそこまで行けばよさそうなのに、どうして何もないような加茂駅止まりなんだろう。と思って調べたら、木津から加茂まで電化されているのに、加茂からこちらが非電化だからという理由だった。詳しい事情は知らないけど、木津まで伸ばしてくれた方が乗り換えは便利に違いない。

伊賀上野2-14

 伊賀上野シリーズはこれでおしまいとなった。
 このあと、名古屋方面に引き返す形で関に向かった。そのときの紹介は、また機会を改めてということにしたい。

伊賀上野城と忍者の歴史 <伊賀上野・3回>

観光地(Tourist spot)
上野城-1

PENTAX K10D+DA 16-45mm f4



 旧小田小学校をあとにして、上野城へとやって来た。
 ちびっこは、近所のひかり保育園の子供たちだろう。先生に連れられて散歩を兼ねたお花見だろうか。子供というのは、意味のない無駄話を大声でするものだと、あらためて思う。ものすごく賑やかで、話に内容がまったくない。そこが面白くて笑えるのだけど。
 桜は満開から少し散りかけといったところだった。風に花びらが舞って、子供たちの歓声が上がる。
 小田小学校の方から来たので、堀の裏手から入ることになった。本来は南の白鳳門をくぐって入ることになると思う。

上野城-2

 城造りの名手、藤堂高虎が築いた高石垣が上野城の名物となっている。
 日本一の高さと紹介されることも多いけど、実際は大阪城の方が微妙に高いらしい。
 上野城が29.5メートル(水面上は23.5メートル)に対して、大阪城は30メートル。50センチといえば、もう一つ、二つ石を積めば追い抜けた高さだ。惜しいところで日本一を逃した。
 堀に水が張られているから、下から見上げるとたいしたことがないように思えるけど、上に立ってみるとやはり相当な高さがある。端に立って下を見ると、ちょっと怖い。30メートルといえば、ビルの10階の高さだ。

上野城-3

 あ、忍者がいた。くのいちもいる。
 伊賀といえば忍者だから、心の準備はできていたつもりだったけど、あまりに唐突だったので、ちょっと笑いそうになった。
 伊賀は忍者を前面に押し出していて、市の職員になると忍者の恰好をしなくてはいけない。冗談みたいだけど本当の話だ。新人研修などでは忍者の恰好をさせられる。
 他でもあちこちで忍者絡みのものを目撃することになる。

上野城-4

 伊賀忍者の歴史は古く、古代にはすでに誕生していたとさえいわれる。壬申の乱でも伊賀の勢力は大海人皇子側につき活躍しているし、源平の合戦から鎌倉、室町にかけて、その勢力を増していき、家康お抱えとなった服部半蔵によって歴史の表舞台に登場するまでになる。
 地理的には伊勢と大和の境界線にあり、鎌倉末期までは大部分が大和国東大寺の荘園となっていた。 
 現在城跡になっている場所に、平安時代の末期、後白河法皇の勅願によって平清盛が建立した平楽寺と薬師寺があり、そこが伊賀国の中心となっていた。
 東大寺の勢力が衰えると、伊賀国はいくつかの勢力に分かれ、それそれが独自の支配をするようになる。その中から力をつけていったのが、服部氏であり、百地氏であり、藤林氏であった。
 忍者といっても普段からみんなが忍術の修行だけしていたわけではなく、農業で生活をしながら、訓練をしたり、諜報活動をしたりといった感じだったようだ。大きな勢力に属さないゆえに、自分の身は自分たちで守らねばならず、情報収集や防衛術を会得することは、必要に迫られたゆえだ。
 忍術というのは、本来身を守るためのものであって、相手を攻撃するためのものではない。手裏剣を投げるくらいでは相手を仕留められないし、刀など持っていては隠密行動の邪魔になる。まきびしを撒いたり、水中に隠れたりする術などを見ても、攻めるためのものではないことが分かる。いわゆる忍者の恰好というのも後世のもので、あんな恰好をしていたらかえって目立つ。忍者は忍者とバレたらいけない。
 戦国時代になると、伊賀の独立勢力は全国支配を目論む大名にとっては目障りな存在になる。上手に活用したりもしただろうけど、基本的には配下にはつかない。それを許さなかったのが信長だった。
 というよりも、次男のちょっとお馬鹿さんな信雄が、伊賀者にだまされて独断で攻め込んでいったところ大負けしてしまい、信雄と伊賀に怒った信長が本気で攻め込んだというのが経緯だった(天正伊賀の乱)。
 結果、伊賀の勢力というのは衰えることになるわけだけど、このとき信長は伊賀を壊滅させることなく和睦を結んでいる。おかげで伊賀者たちは生き残ることになった。本能寺の変ののち、伊賀者の残党は各地でちょっと暴れている。
 本能寺の変のとき、境にいた家康を三河へ逃がすために護衛したのが伊賀の服部正成だった。世に言う神君伊賀越えというやつだ。
 正成は二代目服部半蔵で、服部氏は代々半蔵を襲名していったので、何人も服部半蔵がいる。初代の保長は、室町幕府12代将軍足利義晴と、家康のオヤジさんの松平清康に仕えたといわれている。この初代は忍者で、正成は忍者ではなく武士だった。
 信長のあとを継いだ秀吉は、大和郡山から筒井定次を伊賀国に移封した。定次は平楽寺、薬師寺の跡に三層の天守閣を持つ城郭を築き、城下町を整備した。これが上野城の基礎となる。現在の天守が建っているところの東に一段高いところがある。そこがこのとき天守閣があった場所だ。
 伊賀者が家康についてしまったことで、秀吉は山一つ越えた甲賀の忍者を配下につけることにした。のちに甲賀忍者と伊賀忍者は常に争っていたというような話になるのだけど、それはこのとき、秀吉と家康それぞれについたことがきっかけとなっている。秀吉は甲賀忍者に家康の動向を見張らせていたといわれる。本来敵対していたわけではなく、実際に戦闘をするようなことはそうはなかっただろう。
 関ヶ原の戦いのあと、家康は豊臣方の筒井定次から領地を没収して、家臣の藤堂高虎を伊賀国へ送り込んだ。本拠地を伊勢の津に置いた高虎は、上野城を豊臣方の備えのために大改築をする。秀吉はすでに死んでいたとはいえ、秀頼の大阪城はまだまだ健在であり、驚異だった。
 高石垣を築いたのもこのときで、天守は五層の大変立派なものだったといわれている。ただ、完成直前に暴風雨によって吹き飛んでしまい、ついに未完に終わってしまった。五層天守の記録も残されていない。
 それからほどなくして大坂の陣によって豊臣方への備えは必要なくなり、江戸時代を通じて天守が築かれることはなかった。
 本来は大和側だった伊賀国が三重県になっているのは、津を本拠にした藤堂氏の勢力圏だったという歴史があったためだ。

上野城-5

 ここにも青忍者と、赤いくのいちがいた。
 私も仮面の忍者赤影の扮装をして登場するべきだったか。あるいは白影となって、大凧で天守の上空から登場した方がドラマチックか。

上野城-6

 明治以降、城跡は捨て置かれ、草ボウボウの荒れ放題になっていたという。それを憂えた伊賀出身の実業家・田中善助が公園として整備したのが明治29年。
 昭和10年には、衆議院議員だった川崎克が私財を投げ打って3年がかりで天守を築いた。
 資料が残っていないため模擬天守であるものの、木造にこだわった心意気は立派だ。五層の天守台にちょこんと乗っているような恰好で、高さ23メートルの大天守と二層の小天守が建っている。復元天守ではないため、正式には伊賀文化産業城という名前がつけられている。

上野城-7

 急な階段なども本格派だ。建てられてから70年以上も経っているから、かなり風合いが出ていい感じになっている。
 映画『影武者』の撮影にも使われた。

上野城-8

 高台の上の高い石垣の上に建つ天守からだから、見晴らしはとてもいい。ただ、見るべきものがない。

上野城-9

 天井にはいろいろな人の書や絵の色紙が飾られている。
 横山大観の月の絵もあった。

上野城-10

 天守の前に川端康成の石碑が建っている。若き横光利一君 ここに想ひ ここに歌ひき。
 城下にある上野高校(当時は県第三中学校)に、横光利一は明治44年に入学して、5年間をこの地で過ごしている。おそらく何度となく高石垣の上に登って町を見下ろしたことだろう。
 今はもう、横光利一を読む人も少なくなった。

上野城-11

 上野公園内には、俳聖伝や伊賀流忍者博物館、忍者伝承館、歴史民俗資料館などがある。写真に写っている屋根は俳聖伝のものだと思う。時間がなくてあちらまで回れなかった。

上野城-12

 帰りは電車に乗るために南の入口へ向かった。
 高いところにあるから、石段を登るのはちょっと大変だ。

上野城-13

 入口近くまで行って、なるほどと思う。ちびっこ忍者たちの謎が解けた。この店で衣装を貸し出していたのだ。街中で忍者の恰好をしてたらかなり変だけど、上野城内なら違和感はない。忍者の衣装を着る機会なんてのは、めったにない。
 記念撮影用の顔出しパネルも用意されている。忍者とくのいちと松尾芭蕉がセットになっている。奥の細道は忍者芭蕉くんが書いたと主張したいのかもしれない。

上野城-14

 伊賀上野番外編として、もう一回続きがある。

ギフチョウには出会えなかったモリコロパークだけど

施設/公園(Park)
モリコロパーク-1

PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8 / TAMRON SP 90mm f2.8



 今日も伊賀上野編をお休みして、季節の小ネタを挟みたい。季節ものを先に片付けておかないと、気になってしまうから、こちらを優先した。
 モリコロパークへ行った目的は、ギフチョウだった。去年、初めてギフチョウを見た感動が忘れられず、今年もまた見たいと思っていた。天気が悪い日が続いたり、タイミングが合わなかったりして、少し出遅れた。ただ、去年は18日で見られたから、致命的な遅れではないはずだった。
 しかし、結果から言うと、1匹も見ることができなかった。たまたま飛んでいない時間帯だったのか、日が悪かったのか。エサのミツバツツジがだいぶ終わりかけていたから、もうシーズンが終わってしまったのだろうか。
 今年最初で最後のチャンスだったから、見られなかったのは残念だった。また来年のお楽しみということになってしまいそうだ。
 今日の写真は、ギフチョウ抜きの4月のモリコロパーク風景ということになる。その行き帰りもあわせてに一回に詰め込んだ。本編に入りきらなかった写真は追記に載せておく。在庫写真がだぶつき気味の今、こんなところで2日間も費やしている場合ではない。
 一枚目は、散った桜道でお散歩中のムクドリさんたち。春の平和な風景。

モリコロパーク-2

 ものすごく久しぶりに、通っていた中学の裏を通った。車で正門の前を通ることはよくあっても、川沿いの裏手は車では走らない。自転車に乗ったからこそ見られた懐かしい光景だった。
 テニスコートや部室の様子は、まったく変わっていないように見える。1年の2学期から分校ができて新しいこの中学に通うようになったから、テニスコートも部室もできたてのときに使っている。
 3年間、このテニスコートで練習していたときのことを思い出して、なんだか力が抜けた。懐かしすぎる。使っていたヨネックスの赤いラケットも鮮やかに蘇った。

モリコロパーク-3

 ついこの前ひな祭りが終わって、桜に浮かれていたら、もう5月の子供の日が近い。時の進み具合が早すぎて恐ろしい。一年の半分なんて、すぐに終わってしまう。

モリコロパーク-4

 モリコロパークに到着。
 噴水を眺める絵になる二人。
 ギフチョウがいるゾーンへ向かう前に、まずは人を探して撮ることにする。それもモリコロパークの楽しみの一つだ。

モリコロパーク-5

 花畑の前で写真を撮る女の子たち。
 ギフチョウ運はなかったけど、人撮り運はあった。モリコロパークとはわりと相性がいい。
 そういえば、上海万博がもうすぐ始まる。愛・地球博からもう5年が経ったのだと思うと、感慨深いものがある。もう一度、愛知万博に行きたい。過去に対する後悔はあまりない方だけど、愛知万博にもっとたくさん行っておけばよかったと、5年経ってもまだ思う。もったいないことをした。

モリコロパーク-6

 万博のときもこんな光景をよく目にした。大芝生場で疲れ切って寝込んでいる人がたくさんいた。あの夏は特別暑かった。
 今はのどかな親子の姿だ。

モリコロパーク-7

 ルリタテハくらいではギフチョウの代わりにはならないとはいえ、今シーズンの初物ということで撮っておく。
 翅がだいぶ傷んでいる越冬個体だ。年が明けて新たに生まれるのは6月くらいだから、4月のこんな時期に飛んでいるのは成虫のまま冬を越したやつだ。寒い時期はじっと寒さに耐えているのだろう。

モリコロパーク-8

 ツツジの花の中にいた小さな虫。1センチもないようなやつ。コガネムシの仲間だろうか。
 虫たちも少しずつ姿を現すようになってきた。

モリコロパーク-9

 ジロボウエンゴサクとムラサキケマンの区別が今ひとつついていないのだけど、これはたぶんジロボウエンゴサクの方だ。
 へんてこりんな名前で、漢字では次郎坊延胡索と書く。頭の中で変換すると、次郎坊援護策となる。次郎のやつをなんとか助けてやる方法はないかと策を巡らせる感じ。

モリコロパーク-10

 スイレンか何かの浮き草も、春になって新しい葉を出してきている。夏になれば花を咲かせるのだろう。

モリコロパーク-11

 こんなふうに撮ると、モリコロパークに露天風呂があるのかと思われてしまいそうだけど、そんなものはない。霧が噴き出す演出をしている場所があって、撮るとこんな感じになる。

モリコロパーク-12

 帰り道、長久手の田んぼ道を通って帰った。田植えが終わる頃、アマサギが訪れる場所で、もしかしてもう来ているんじゃないかと見にいってみた。やはりまだ来ていなかったか。田んぼに水が張られないと来ないようだ。
 けど、またキジがいてびっくりした。尾張旭で見て、長久手でも見て、キジがこんな身近に普通にいるとは思ってなかった。気をつけていれば、もっと頻繁に見られるのかもしれない。

モリコロパーク-13

 香流川の上流がこんな姿をしているのは知らなかった。近所を流れる同じ川とは思えない。深山幽谷というと大げさだけど、相当山奥に入った感じだ。手つかずの川の姿をかなりとどめているんじゃないだろうか。

モリコロパーク-14

 昭和の懐かしい川風景を見るようだ。春のうららの隅田川といった風情で、ランニングシャツに麦わら帽をかぶったちびっこが、川に入って魚を手づかみしていてもまったく違和感がない。
 ギフチョウには出会えなかったモリコロパーク行きだったけど、行き帰りも含めて収穫はあった。

 本編に入れられなかった写真は、追記に。

4月の東山植物園写真を挟み込む

施設/公園(Park)
東山植物園-1

PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8 / TAMRON SP 90mm f2.8



 予定通りなら昨日の続きで上野城編になるところではあるのだけど、季節もの優先ということで、一回、東山植物園を挟みたいと思う。旬の花写真などは、早めに出していかないと鮮度が落ちて、情報としての価値も低くなる。季節外れの花写真というのは、なんとなく間が抜けたようになってしまうものだ。
 旅シリーズでも桜写真がけっこうあるのだけど、どうせすぐには終わらないし、リアルタイムに紹介するのはあきらめた。福井・東尋坊シリーズは一体いつになることやら。下手したら5月の終わりに桜の写真を出すなんてことにもなりかねない。
 ともかく、今日は東山植物園の写真を紹介したい。実はこれも先週のことなので、また少し季節が進んでしまっているはずだ。残っていた花も、もう終わってしまったかもしれない。
 チューリップはなんとなく初夏のイメージがあるのだけど、実際は春先からしっかり咲いてくる花だ。桜が終わってからチューリップのことを思い出していては遅いくらいで、今を盛りとよく咲いていた。桜を脇役に、チューリップが主役の写真というのもいいものだ。

東山植物園-2

 花桃だったと思う。
 桃の花ももう終盤で終わりかけだ。今年も猿投の桃を見にいくことができなかった。毎年、今年こそ行こうと思いつつ、ここ数年ご無沙汰になっている。
 寒い地方の桃名所では、今頃見頃を迎えている頃じゃないだろうか。桃の華やかさもいいものだ。

東山植物園-3

 鮮やかな春の花が咲き乱れる中、モミジの花も地味にひっそり咲いている。5月にかけてがモミジの花の季節で、近くに寄ってよく見てみると、小さな花を咲かせていることが分かる。

東山植物園-4

 アオダモの花がこんなふうに咲くのを初めて知った。この花自体は何度か目にしたことがあったけど、アオダモの花というのは知らなかった。
 アオダモといえば、野球のバットの原材料としてよく使われている。イチローや松井も、アオダモのバットの愛用者だ。こんな花が咲くことを知っているだろうか。

東山植物園-05

 ツツジもだいぶ咲いてきた。
 東京根津神社のツツジは有名で、一度見てみたいと思っている。
 豊田市藤岡のつどいの丘というところに、キリシマツツジでできた巨大な壁がある。以前に3回行ったことがあるけど、このブログには登場していないか。とすれば、もうだいぶ前のことになる。見頃は4月の終わりくらいだったか。

東山植物園-6

 名前を知らない花ながら、姿が面白いので撮ってみる。
 マンサクをどぎつい蛍光ピンクで着色したような花だと思って調べてみたら、ベニバナトキワマンサク(紅花常盤満作)というやつのようだ。
 どう見ても品種改良した園芸種っぽいのだけど、中国原産のトキワマンサクの変種なんだそうだ。こんな色が自然界で生まれるというのも不思議なものだ。

東山植物園-7

 これも中国原産の花で、フジモドキ(藤擬き)という。
 別に花自身は藤を真似たわけでもないのに、もどき呼ばわりされるのは心外だろう。藤にもそんなに似てないし。
 もどきではかわいそうだということで、チョウジザクラ(丁子桜)という別名も与えられている。

東山植物園-8

 タイツリソウという別名はすぐに思い出せるのに、正式名をいつも忘れてしまう。そのたびに調べ直して、ああ、そうそう、ケマンソウだったと思い出す。
 ぶら下がっている全体像を写すことが多いから、今回はピンクのハート部分を切り取ってみた。

東山植物園-9

 マクロ撮影の定番、タンポポの綿毛。これが撮りたくてマクロレンズを買ったという人もけっこういるかもしれない。
 何度見ても神秘的というか、なんとなく宇宙を連想する。

東山植物園-10

 もうすぐ咲きそうな花の蕾。小さな羽虫が開店前から一番乗りで並んでいる。開くまでにはまだ数日はかかりそうだ。

東山植物園-11

 この時期に葉っぱを落とす木もある。赤い葉の縦断の上には、次々に葉っぱが舞い落ちていた。

東山植物園-12

 モミジの新緑もだいぶ色が鮮やかになってきた。人は秋の紅葉を愛でるけど、モミジにしたら春から夏にかけてが一番元気よく生きている時期だ。みずみずしい緑に、春の喜びが感じられる。

東山植物園-13

 水ぬるむ4月。岩の苔も生きいきしている。
 新緑の5月になったら、また渓谷を撮りに行こう。

東山植物園-14

 写真教室のグループだろうか。講師がいて、みなさんいいデジとレンズでバチバチ撮っていた。
 デジイチ人口はここ10年で爆発的に増えた。年齢層も広がって、近頃は女性も多い。面白い時代になったと思う。

東山植物園-15

 閉園間際の植物園は、人もまばらになり、何とも言えない静けさが支配する。祭りのあとというか、9月の海の家というか。隣接している動物園のけだるい感じとはまた違っている。

東山植物園-16

 最後まで園内を歩いているのは、私とかカラスとか鳩とか、それくらいのものだ。

東山植物園-17

 今回、星が丘門から初めて入った。入口にこんなトンネルがあるとは知らなかった。
 写真の収穫はそれほど多くなかったとはいえ、4月中に一度行けてよかった。一応の目的だったサトザクラはなんとなく撮る気がせず、ほとんど撮らなかった。
 5月になれば、また花の顔ぶれも変わる。次回はバラのシーズンくらいになるだろうか。動物園も行きたい。

ギヤマンの赤と青が印象に残る旧小田小学校<伊賀上野・2回>

観光地(Tourist spot)
小田小学校-1

PENTAX K10D+DA 16-45mm f4



 旧小田小学校でもっと印象的だったのが、この色ガラスだった。当時はギヤマンと呼ばれていたものだ。
 ギヤマンというのは、オラン語のダイヤモンドのことで、ガラスをダイヤモンドでカットしていたことから転じて、ガラスそのものをギヤマンと呼ぶようになった。必ずしも色ガラスのことではない。色ガラスは明治にはとてもハイカラなもので、近所の人たちはギヤマン学校とも言っていたそうだ。
 ガラスの向こうに桜が咲いていたことで、より華やかな印象になった。
 旧小田小学校は少し分かりづらい場所にある。私は伊賀上野駅から歩いたから北側から行くことになったのだけど、普通は伊賀鉄道の上野市駅から行くことになると思う。
 駅北の25号線を西に進んで、上野高校と旧崇廣堂(崇廣中学)の間の道を北へ折れて、右手に上野城を見つつ、三叉路を左に曲がって少し行ったひかり保育園の裏手にある。駅から歩くと10分程度かかるだろうか。上野城へ行ったときはついでに寄っておくことをオススメしたい。見学料も100円と良心的だ。

小田小学校-2

 現存している本館は、木造二階建ての洋風建築で、いかにも明治感覚の洒落た外観となっている。
 玄関ポーチにはエンタシスの円柱(パルテノン神殿や法隆寺の柱みたいなやつ)、破風には鬼瓦が乗り、玄関上部には龍の彫刻が施してある。二階には塔もついている。
 額には啓迪学校(けいてきがっこう)とある。啓廸というのは、教え導くという意味だ。
 明治8年に小田小学校として開設され、明治14年に校舎が建てられて、そのときに啓迪学校と名付けられたそうだ。
 昭和40年まで小学校として使われて、その後廃校となり、現在は保存展示されている。三重県内では現存する最古の小学校となっている。

小田小学校-3

 館内は当時の様子が偲ばれる姿のまま、時を止めている。
 古くなったピアノも、今は正確な音を出さないことだろう。

小田小学校-4

 本館内に教室があったのかどうか。校舎は別にあって、実際の教室はそちらだったはずで、これはその一部を再現したものかもしれない。

小田小学校-5

 明治村にも三重県の尋常師範学校本館(蔵持小学校)が移築展示されていて、何度も見ている。それとよく似ている。
 昭和40年までこの机と椅子が使われていたとしたら、相当物持ちがいい。
 机や椅子を見ると、小学生の小ささにたじろぐような思いがする。自分がこんなにも小さかったときのことを上手く想像できない。

小田小学校-6

 世代的には私たちよりもっと前のものだから、小学生のときの記憶にあるものよりももっと昔のものという気がする。
 それでも、金属の皿などは懐かしく感じられる。給食の時間を思い出した。

小田小学校-7

 柱時計とはまた時代がかっている。この教室の雰囲気にはぴったりだ。

小田小学校-8

 蝋燭台付きのピアノ。
 明治10年代というと、江戸時代からまだ10年そこそこしか経っていない。学校や一般家庭の電気事情はどんなものだったのだろう。ピアノにもロウソクの明かりは必要だったのだろうか。

小田小学校-9

 展示物としては、学校関係の資料などが主なものとなる。昔の教科書などもあって面白い。

小田小学校-10

 鐘が吊り下げられている。チャイム代わりに鐘を鳴らしていた時代もあったのだろう。

小田小学校-11

 本館裏手から見た塔の姿。
 手前は隣接するひかり保育園のちびっこたち。
 本館内は静かでも、遠くに子供たちの声が聞こえてきて、完全に眠っている感じはしない。

小田小学校-12

 少し咲き残った梅と、満開の桜を入れて、最後にもう一度本館を撮る。

 このあと、上野城へ向かった。そのときの様子は、また次回ということにしたい。

バランスよく仕上がった和食サンデー料理

料理(Cooking)
和食寄りサンデー

PENTAX K10D+TAMRON 28-75mm f2.8



 ここのところ洋食系が続いたから、今日は久しぶりに和食を作ることにした。私の料理だから、完全な和食とは言い切れない部分もあるのだけれど、まあ、ジャンル分けすれば和食には違いない。上の3品がそうだ。

 左手間は、鯛しゃぶだ。
 切り身の鯛を薄く切って、酒、塩、コショウ、ショウガを混ぜ合わせたものを振りかけてしばらく置く。
 温めただし汁に、さっとくぐらせて、白くなったら素早く引き揚げる。長く浸けるとしゃぶしゃぶではなくなってしまうし、身もぽろぽろ崩れてしまう。
 新タマネギも、同じくだし汁にくぐらせる。
 たれは、ごま油、しょう油、みりん、酒、白だし、からし、砂糖、バルサミコ酢、白ごま、唐辛子を合わせて、ひと煮立ちさせて作る。
 刻んだ長ネギを乗せて、たれをかければ完成だ。
 これは美味しかった。白身の一番好きな食べ方を見つけた。

 右は、新ジャガの煮っ転がしだ。
 煮っ転がしと煮物の違いはよく分からないのだけど、煮っ転がしは強火で一気に加熱して、中まで味を染み込ませない調理法だと思う。表面に甘辛の汁を絡ませて、中はほくほくに仕上げるのがコツだ。
 新ジャガなので、皮付きのままで食べる。タワシでよくこすり洗いをして、オリーブオイルで炒める。このときからもう強火でいく。
 鶏肉と、シーチキン缶も、オリーブオイルで炒める。
 ジャガイモがひたひたにかぶるくらい水を入れ、鍋で温めていく。
 酒、みりん、しょう油、白だし、塩、コショウ、砂糖で、やや濃いめに味付けをする。最初は薄目にして、あとから味を加えた方が失敗は少ないだろう。
 まずは強火でジャガイモが動くくらいぐつぐつ煮て、その後アルミホイルで落としぶたをして中火にする。ある程度火が通ったところで落としぶたを取り出して、弱火で煮込みながら汁を飛ばす。竹串がすっと通るようになれば完成だ。
 新ジャガならではの食べ方でもあるし、これも春の料理と言えるだろうか。
 肉ジャガとはまた違った味わいで、煮っ転がしも美味しいことを再確認した。

 奥は、ニンジンと大葉の天ぷらだ。
 かなり安上がりな一品となっている。
 ニンジンを薄い細切りにして、天ぷら粉をつけて揚げるだけだ。
 サクサクに揚げるポイントとして、マヨネーズを使う。
 マヨネーズ大さじ1に対して、冷水75mlを少しずつ加えながらよく混ぜる。そこへ小麦粉50gを入れ、粉が少し残るくらいに優しく混ぜる。あと、黒ごまも入れる。カレー粉があれば、それも足す。
 細切りニンジンを粉にくぐらせて、170度くらいで揚げる。箸でまとめればわりとまとまる。
 取り出したら、塩を振りかける。めんつゆでもいいけど、ニンジンの甘みがあるから、塩だけでも味は充分だ。

 全体的にバランスのいい仕上がりとなった。作り手としても料理した気分になれて、食べる側としても満足した。和食はやはり味の安心感がある。大きく外すことはない。
 今日は出来が良かったから、写真を見ていたらまた同じものが食べたくなってきた。今回はどれもオススメできるので、よかったら作って食べてみてください。

伊賀上野は生まれた県のよその土地 <第一回>

観光地(Tourist spot)
伊賀上野1-1

PENTAX K10D+DA 16-45mm f4



 JR関西本線、加茂行きの列車に乗って、伊賀上野駅に降り立つ。ここは旅の空の下。知らない町。
 行ったのは4月のはじめのことになる。ここのところ桜ネタを優先していて、旅シリーズをなかなか始められないでいた。今後も旬のネタが間に挟まるだろうけど、とりあえず伊賀上野編を開始したいと思う。
 伊賀上野という町に対して全国の人がどういうイメージを抱いているのか、よく分からない。伊賀忍者の里であり、松尾芭蕉の生まれ故郷という知識は、どれくらい浸透しているのだろう。
 伊賀上野という地名に関しては少し説明が必要だ。伊賀国の上野ということで、昔から伊賀上野と称することが多いのだけど、これは上野というと東京の上野と間違われやすいということで、そう呼ばれる習わしとなっている。もともとあった上野市は、伊賀町と周辺の町や村と合併して、伊賀市となっているため、今は存在していない。伊賀上野市の方が分かりやすいじゃないかという声もあったようだけど、最終的には伊賀市と決まった。
 そんなわけで、伊賀といえばたいていは伊賀上野のことを指し、駅名としては伊賀上野駅というのがあるから、観光客としては迷うことはない。
 滋賀県甲賀市や京都府南山城村、奈良県奈良市などと隣接していて、松阪市生まれの私としては、同じ三重県内とは思えないほど隔絶感がある。尾鷲と同じくらい遠い存在で、これまで一度も足を踏み入れたことがなかった。なので、今回は生まれた県でありながら、はっきり旅の感覚があった。

伊賀上野1-2

 伊賀上野駅の正面。食べ物屋も、それ以外の店も、何も見あたらない。駅前はただの広い空間が広がっている。
 一応、観光地である伊賀上野駅の表玄関が、これほど何もないとは思っていなかった。駅前に立って、しばし呆然とする。
 伊賀上野駅は、JRと伊賀鉄道伊賀線が共用となっていて、上野城方面へ行くには伊賀鉄道に乗っていくと早い。ホームに伊賀鉄道用の乗車券売機が設置されている。
 私は行きは歩いていくと決めていた。1.5キロくらいのものだから、ぷらぷら歩いていっても30分もかからない。その町を知るには、まず歩いてみるのが一番だ。私の旅は、歩くことそのものとも言える。

伊賀上野1-3

 遠くに上野城が見える。高い建物がないから、空が広い。
 日差しはそれなりにあったものの、青空に恵まれなかったのがちょっと残念ではあった。

伊賀上野1-4

 ええ!? 鹿?
 我が目を疑った。河原に鹿の群れが走っている。ホントかよ、と思う。間違いない、本物のノラ鹿だ。
 駅から500メートルの町中の川岸に鹿の群れが走っているのが伊賀上野という町らしい。
 奈良県室生寺へ向かう山中の川辺で一頭の鹿を見たときも驚いたけど、ここでの光景はそれを上回る衝撃だった。
 望遠レンズに交換している間に、跳ねるように走り去ってしまった。6頭くらいいたけど、あれは日常的な光景なんだろうか。

伊賀上野1-5

 上野城へ向かう幹線道路は、典型的な地方都市の光景で、とりたてて特徴はない。交通量はそれなりに多く、沿線にはよく見る大型チェーン店などが並んでいる。
 そんな中でも、民家の前に何気なく丸ポストが立っているあたりが、大都市の郊外とは少し趣が違っているところだ。

伊賀上野1-6

 ちょっと脇道に入ると、こんな蔵も建っている。
 伊賀地方は空襲の被害がなかった土地ということで、古い建物がそこそこ残っている。今回は時間がなくて行けなかったのだけど、上野城の南側には武家屋敷跡や町屋造りの家などがあるようだ。

伊賀上野1-7

 上野城へ行く前に、旧小田小学校へ行くと決めていた。やや奥まった分かりづらいところにあって、道に迷った。迷いつつ、いい雰囲気の路地を見つけて喜ぶ。

伊賀上野1-8

 伊賀上野は、山間部寄りということで、平地より少し季節が遅い。桜も満開できれいだったけど、まだコブシやジンチョウゲが咲いていた。

伊賀上野1-9

 切られた木が無造作に積まれているような光景は、田舎ならではのものだ。周囲にぺんぺん草が咲いていたりして、懐かしさを感じる。

伊賀上野1-10

 伊賀といえば忍者の里で、伊賀流忍者博物館や資料館など、忍者にまつわる施設もいろいろある。今回の旅では忍者と芭蕉にはあまり触れなかった。どちらも興味がないわけではないのだけど、このあと関宿、亀山と巡る旅だったので、伊賀上野での時間が2時間ほどしか取れなくて、そちらまで回れなかったのだった。
 忍者の歴史もなかなか興味深いものがあって、書き始めると長くなる。いずれ機会を改めてということになりそうだ。

伊賀上野1-11

 城は高台にあるので、上り坂を登ることになる。
 伊賀の町並みを見守る石仏があった。

伊賀上野1-12

 自転車で坂を下っていくのは、城の南にある上野高校の学生だろう。
 桜が咲いて、新学期の雰囲気に包まれていた。

伊賀上野1-13

 旧小田小学校に到着した。
 現在は資料館として保存されており、一般公開もしている。
 中の紹介はまた次回ということにしたい。
 つづく。

自転車での行き帰りに収穫あり

日常写真(Everyday life)
東谷山行き帰り-0

PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8



 自転車散策のいいところは、目的地への行き帰りに写真を撮れるところだ。車は便利で早いけれど、目的地への移動だけで終わってしまう。今回の東谷山フルーツパーク行きでも、往復の途中にいろいろ写真を撮って、それがひとネタ分になった。移動に時間はかかっても、その時間は無駄にならない。
 自転車の楽しさもだんだん分かってきた。もっとあちこちへ行きたくなっている。足とお尻をもっと鍛えなくてはいけない。
 今回は桜を中心にした尾張旭近辺の風景をお届けします。桜の終わりはこれまであまり撮ってこなかったけど、撮ってみるとなかなかいいものだ。散りゆく寂しさだけでなく、名残の風情もある。

東谷山行き帰り-2

 歳を取るごとに桜への思いは深まっていくのだろう。ある年齢になれば、これが最後の桜になるかもしれないと考えるはずだ。だから、最後までしっかり目に焼き付けて覚えておこうと思う。

東谷山行き帰り-3

 河原でひなたぼっこ中の仲良し親子。
 お母さんはこの時間の幸福感を噛みしめていることだろう。ちょうど全身を包む春の暖かさのように。

東谷山行き帰り-4

 ホームにスーツ姿の男がひとり、電車を待つ昼下がり。営業マンだろうか。
 きっとこのときの彼の気持ちの中に、桜の存在はない。

東谷山行き帰り-5

 歳月で風化した廃屋。
 こういう建物に心惹かれるのと、桜を愛でる気持ちとは近いものがあるような気がしている。
 時間の経過や、巡る季節を思う。

東谷山行き帰り-6

 東谷山フルーツパークは、名古屋最高峰(198メートル)の東谷山のふもとにある。
 この山でニホンカモシカが生息していることが最近判明した。自動撮影のカメラに写っている写真も公開された。
 いくら守山区が名古屋市のはずれとはいえ、名古屋市内にニホンカモシカが生きているというのは驚きだ。この日も時間があれば山に登ってカモシカ探しをしようと思っていたのだけど、時間切れでできなかった。いるならぜひ撮ってみたい。

東谷山行き帰り-7

 使われなくなって久しいと思われる建物。会社の寮だったところらしい。
 建物自体はそれほど古いものではないようなのに、人が住まなくなると傷むのが早い。木造の家屋よりも痛々しい感じがする。

東谷山行き帰り-8

 放り出された生活用品の上に桜の花びらが降り積もる。
 このまま捨て置かれて朽ちていくのを待つだけなのか。超高速早送りの映像が目に浮かんだ。

東谷山行き帰り-9

 尾張旭はまだ田園風景がよく残っている。牧歌的な感じに心が和む。
 車では通らなかった細い道を行くと、新たな発見があって新鮮に感じられる。よく知っているつもりの街も、実はほんの一部しか知らないことに気づく。

東谷山行き帰り-10

 長池公園にできた桜道。満開の桜トンネルもいいけど、散り桜の絨毯道も悪くない。
 紅葉の絨毯がいいのは分かっていたのに、桜絨毯のよさを今まで気づいていなかった。来年はもっと積極的に探すことにしよう。

東谷山行き帰り-11

 ケリは相変わらずけたたましい声で鳴きながら飛んでいた。そろそろ子育ての時期に入ったかもしれない。鳴き声がだいぶ殺気立っていた。
 近いうちにヒナも見られるだろう。

東谷山行き帰り-12

 春の休耕田といえばレンゲが定番だけど、最近は少なくなった。尾張旭でもだいぶ縮小されて、一部でしか咲いていない。それでも、今年もまた見ることができてよかった。これも春の風物詩の一つとして欠かせない。

東谷山行き帰り-13

 天神川の菜の花風景。
 何度となく車で通っていた橋なのに、この風景は知らなかった。自転車で初めて見つけた風景が、お気に入りとなった。

東谷山行き帰り-14

 尾張旭の田んぼでキジと目が合ってびっくり。その距離約5メートル。こんなところでキジに出会うとは思わない。生活圏のこれほど身近なところで、まだキジは生息していたのか。
 美しくもあり、存在感もある。この日一番の収穫だったかもしれない。

 ご近所季節ものはこれで一段落して、明日からは旅シリーズを始めたいと思っている。

これで今年の桜は終わりかなと思う <東谷山・後編>

桜(Cherry Blossoms)
東谷山2-1

PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8



 今日は東谷山フルーツパークの後編をお届けします。
 日に日に桜も散っていって、花よりも葉が目立つようになってきた今、桜への気持ちも急速に冷めつつある。信州から北はまだこれから咲いてくるのだろうから、桜の季節が終わったわけではないのだけど、自分のところを過ぎてしまうと、もう桜は済んだものとなってしまう。旅で撮ってきた桜の写真もまだ残っているから、なるべく早く出していきたいと思っている。

東谷山2-2

 大道芸を見物する人たち。

東谷山2-3

 桜を見るお母さんたちと、桜とは関係なく駆け回るちびっ子。
 子供の頃見た桜なんて、私は覚えていない。それでも、子供にとってはお出かけできることが楽しいからいいのだ。

東谷山2-4

 親子三代かなと思うけど、どうだろう。
 桜は世代から世代へと受け継がれる。

東谷山2-5

 それぞれの桜。いつ誰と見たかによっても、桜の思い出は変わってくる。
 桜の季節が巡ってくると、あのときあそこであの人と一緒に見た思い出が蘇る。

東谷山2-6

 桜を撮るおじさんを菜の花越しに。

東谷山2-7

 これは何の花だったろう。
 三脚カメラマンは花を撮り、私は三脚カメラマンごと撮る。見ているものは同じでも、求めているものはそれぞれ違う。
 私は花を撮っていても、花を撮りたいわけではないことが多い。

東谷山2-8

 ピンクから赤のグラデーションと、緑色と、いろんな色があったので、欲張って全部入れてみた。
 ここひと月の間に、一気に色を取り戻した。季節の変化というのは劇的だ。

東谷山2-9

 落ちて水に浮かぶ花、紅白。

東谷山2-10

 水面で大口を開けてバシャバシャやっていた鯉。腹が減って桜の花びらでも食べていたのかもしれない。少しは腹の足しになっただろうか。

東谷山2-11

 桃とか梨とかそのへんの花。スモモだったかもしれない。
 桜の花びらがひとひら引っかかっていて、そこに惹かれて撮る。

東谷山2-12

 収穫した果物や野菜などを販売しているところの裏方。
 働いている人たちにとっては、のんきに桜見物どころじゃない。ここがかき入れ時だ。

東谷山2-13

 テント販売所の後片づけ風景。
 今年もしだれ桜祭りは終わった。

 東谷山フルーツパークのしだれ桜が終わると、残すはサトザクラだけとなる。サトザクラは4月いっぱいくらい咲いているから、あと少し延長戦がある。それでも、気分としてはもう桜も終わりだ。
 今年は開花から満開まで2週間以上と、記録的な長さとなった。その分長く楽しめてよかったけど、終わってみればあっけないものだ。心残りもあり、写真の課題も残った。
 また来年、この季節に戻ってこよう。今年には今年の、来年には来年の桜があって、同じ桜は二度とない。

東谷山フルーツパークへ名残の桜を撮りに行く <前編>

桜(Cherry Blossoms)
東谷山1-1

PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8



 桜の季節も最終盤となって、名古屋市内は大部分が散り果ててしまった。
 ソメイヨシノよりも少し遅く咲くしだれ桜が、東谷山フルーツパークにある。毎年ではないけれど、一年おきぐらいに行っていて、去年は行かなかったから今年は行く番だった。しだれ桜まつりは12日の月曜日までということで、ここの桜ももう出遅れていることは分かっていた。今年の見納めとして最後に名残の桜を撮るために出向いていった。
 一番よかったのは一週間くらい前だっただろう。ソメイヨシノに比べたらまだまだ花は残っていたものの、見頃撮り頃はかなり過ぎていた。散り際の6分咲きといったところか。
 それでも撮るものは何かしらあって、残りの桜やその他のものをあれこれ撮ってきた。人もまだけっこう訪れていて、園内はそれなりの賑わいを見せていた。おかげで人入り写真も撮れて、けっこう満足度は高かった。遅れても行っておいてよかったと思った。
 そんなわけで、東谷山フルーツパークの写真を前後編に分けてお届けします。

東谷山1-2

 園内に入ってすぐ、クライマックスが訪れる。この場所のしだれ桜トンネルがとてもよくて、ここを撮るためだけでも訪れる価値がある。
 残念ながらピークをかなり過ぎていて花は寂しくなってしまっていたのだけど、その代わり花びらの絨毯が撮れた。これは初めて見る光景だった。風に花吹雪も舞っていた。

東谷山1-3

 親子三世代の記念撮影風景。
 私が撮りたいのは、この世で起きている人々や自然の営みなのだと思う。この世界で生きていることの喜びを感じられる光景に出会うのが嬉しい。

東谷山1-4

 長く一緒に生きて、何度も一緒に桜を見られることは、とても幸せなことだ。
 桜は単なる季節の風物詩というだけではない。歳月と巡る季節の象徴だ。

東谷山1-5

 歳を取っても手を繋ぐことの美しさは、自分がある程度歳を取ってみないと分からない。若い頃は、なんだ、と思っていたけれど。

東谷山1-6

 桜を撮るという行為は、桜風景の一部になるということでもある。

東谷山1-7

 ここのしだれ桜の多くは、ヤエベニシダレ(八重紅枝垂)という種類の桜だ。八重咲きのやや濃いめのピンク色をしていて、ソメイヨシノとはまた違った魅力がある。遠くから見ると華やかで、近づいて見ると可憐な花姿をしている。

東谷山1-8

 良寛の辞世の句、「散る桜 残る桜も 散る桜」を思い出す。
 あるいは、西行の「ねかはくは 花のしたにて 春しなん そのきさらきの もちつきのころ」。
 昔も今も、散りゆく桜を見ると、日本人の心は揺れるらしい。また来年もこの季節に戻ってこられるだろうかという不安と、また戻ってきたいという願いとがある。

東谷山1-9

 水面に落ちた花びらが集まって、しばらく浮いたあと、ゆっくり溶けるように水中に沈んでゆく。
 あとひと月もしないうちに、花は影も形もなくなり、満開の桜など幻だったのではないかとさえ思える。

東谷山1-10

 花びらが彩りを添える小さな水の流れ。
 五条川の花筏を撮る機会は今年も訪れなかった。毎年、来年こそと思いつつ、いまだに実現していない。川面を埋め尽くす花びらの流れを捉えるのは、満開の時期を当てるよりもずっとタイミングが難しい。来年こそ、と今年も思う。

東谷山1-11

 タンポポも綿毛も花盛り。
 果樹園の下は、無数の野草で埋め尽くされている。少し前まで冬の茶色が支配していた世界が、今また総天然色を取り戻した。桜が終われば、季節はもう初夏に向かって走り始める。

東谷山1-12

 シロハラさんも、もうそろそろ旅立つ時期だ。せっかく暖かくなって、地面の虫も活動を始めたのだから、もう少しゆっくりしていけばいいと思うけど、北に渡って、向こうで子育てをしなければいけないから、もうのんびりはしていられない。
 そろそろ夏鳥の渡りも本格化してきて、鳥の世界も季節の交代劇が起こる。

東谷山1-13

 桜が終わりに近づくと、自分の出番を待ちかねた藤の花が咲く準備をもうすっかり整えている。今年は桜も早かったし、藤も5月に入る前に咲き揃ってしまうかもしれない。
 藤もまたどこかへ撮りに行こう。

 東谷山フルーツパークの前編はここまでとしたい。
 後編につづく。

大曽根から矢田川河川敷を自転車で行く

名古屋(Nagoya)
大曾根から-1

PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8



 徳川園からの帰り道は、北上して大曽根を通りつつ、矢田川沿いの道を選んだ。大曽根という街は昔から馴染みがなくて、ほとんど行ったことがない。車で通ることさえ稀で、こんな機会でもないと行くこともなさそうなので、寄っていくことにした。
 昔の姿もほとんど知らないから、変わったのかどうかさも判断がつかなかった。駅前はわりと小綺麗になっていたから、昔を知っている人にしたら感慨深いものがあるのかもしれない。
 中央線と瀬戸電と地下鉄が集まるターミナル駅で、ナゴヤドームにも近い。近隣の人たちにとっては便利な駅なのだろうけど、うちからは大曾根へ直接行く交通手段がまったくない。市バスも名鉄も路線がないし、地下鉄は乗り換えないと行けない。
 新交通システム・ガイドウェイバスのゆとりーとラインの駅もある。専用高架道路のラインを半自動運転で走るバスで、大曽根と春日井の高蔵寺を結んでいる。このバスも一度乗ってみたいと思いつつ、なかなか機会が見いだせずにいる。

大曾根から-2

 大曽根駅がターミナル駅というのは分かるにしても、大曽根という街の特徴がよく分からない。繁華街というわけでもなく、住宅地でも、学生街でもない。どういう歴史を辿ってきた街なんだろうか。
 駅の周囲を自転車でぐるっと走ったくらいではこれといったものを見つけられなかった。街を知るには、ある程度歩いてみなければならない。自転車と歩きはやはり違う。
 大曽根については宿題としたい。

大曾根から-3

 中央線と名鉄は、駅を出て少し併走したあと、矢田川の手前で交差する。中央線は北の新守山から定光寺方面に向かい、名鉄は右に曲がって矢田から尾張旭、瀬戸を目指す。
 うちの近くの引山ターミナルから大曽根行きのバスが出ていると、遠出をするとき便利なのだけど、新たな路線ができることはないだろう。昔はあったような気もする。

大曾根から-4

 矢田川に出たところで、遠くにガスタンクが見えた。前に間黒神社とかあっちの方へ行ったときに近くで見た。東邦ガスか何かのタンクだったんじゃないだろうか。

大曾根から-5

 河川敷に菜の花が植えられていた。規模はごく小さいながらも、河原に彩りを添えてくれている。もっと増やして一面菜の花畑にしたら、ちょっとした花の名所になれる。
 ここはちょうど列車が通るところだから、菜の花を絡めて撮ろうと少し待ってみた。

大曾根から-6

 電車の人っぽい写真が撮れて喜ぶ私。けっこうそれっぽく撮れてるじゃないか。
 中央本線だから本数はわりと多い。もっと待っていたら違う電車とかも来たのかもしれない。週末ならナイスホリデー木曽路とかも、ここを走る。

大曾根から-7

 瀬戸電の赤い車両が橋を渡っていく。
 このあたりは電車がたくさん撮れて楽しい。

大曾根から-8

 河原の草むらに潜んでいる犬を見た。あたりに人がいなかったから、一瞬ノラかと思ったけど、そんな風貌ではない。少し離れたところに飼い主さんはいたのだろう。
 走る犬も撮ってみたいと前から思っている。難しくて楽しそうだ。ドッグランとかに行ってお願いすれば撮らせてくれるだろうか。

大曾根から-9

 佇むカワウ。
 去年から今年にかけては、あまりカモを撮れなかった。新しい出会いもなかったし、ちょっと寂しい。もうみんな北へ渡っていってしまった。

大曾根から-10

 宮前橋のところで再び、ゆとりーとラインと出会う。
 専用の高架道路があるところでは、掘られた溝を半自動で走行して、一般道では普通のバスのように運転するというのが、このバス路線の特徴となっている。
 路面電車が絶滅寸前の今、未来社会の主役になれる交通機関は何なのだろう。地下鉄は建設費がかかりすぎるから、有望なのはモノレールだろうか。それにしても、まだまだバスというのは必要不可欠な交通手段であり続けるだろう。バスに代わるものは今のところ思いつかない。

大曾根から-11

 マンションのデザインが面白かったので撮る。
 何かを連想させるけど、具体的に何というわけでもなさそうだ。

大曾根から-12

 河川敷グラウンドで野球の練習をするちびっこたち。見守るお母さんと、桜の木。

大曾根から-13

 ラッパの訓練をする女学生。
 あえて古い言い回しで表現するとそうなる。
 河川敷に響くトランペットの音色というのも、なかなかいいものだ。ソ・ラ・ノ・ヲ・トのようにアメイジング・グレイスを吹いて欲しかった。

 徳川園シリーズはこれで終わりだ。
 明日からは別のシリーズを始めたい。電車の旅ネタもあるし、最後の桜もある。

徳川園で季節の交代劇を見る <後編>

施設/公園(Park)
徳川園2-1

PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8



 今日は徳川園の後編を。
 園内に咲いているのは、コブクザクラ(子福桜)という桜だ。ソメイヨシノとはずいぶん趣が違っている。葉っぱの黄緑が爽やかな印象を与える。
 コブクザクラという名前のプレートを見ると、コブクロが森進一のおふくろさんを歌っている姿が思い浮かぶ。コブクロがおふくろさんを歌うことはなさそうだけど。
 春と秋の二度咲きで、一つの花から二つの実がなることからこの名前がつけられたそうだ。縁起のよさそうな名前だ。

徳川園2-2

 シャクナゲが咲いていた。シャクナゲはツツジの仲間だから、春から初夏にかけて咲く。5月の花と思っていたけど、3月にはもう咲いているのか。
 夏が来れば思い出す遙かな尾瀬遠い空、という「夏の思い出」にもシャクナゲは出てくる。あそこで歌われている、シャクナゲ色にたそがれるというのはどういう色を思い描いていたのだろう。薄ピンク色だろうか。
 日本にも山地の一部にシャクナゲは自生している。それらは白に近い薄ピンク色のものが多い。尾瀬にも咲いているのだろうか。
 水芭蕉も4月の花だ。尾瀬は寒いから咲くがのが少し遅いのだろうけど、それにしても夏の花ではない。夏が来てから思いだしていては見逃すことになる。
 尾瀬も一度行ってみたいと思いつつ、遠くて交通が不便な場所だから、なかなか行けそうにない。

徳川園2-3

 ボケの花はもう終わりが近い。最後のひと咲きといった感じに咲いていた。

徳川園2-4

 シャガは春の終わりから夏にかけて咲く花だから、これからたくさん咲いてくる。シーズン中はありふれすぎていて、見ても撮ることはない。シーズンの始めに一度だけ撮るような花だ。

徳川園2-5

 冬鳥のツグミが見られるのもあとわずかとなった。春が深まる頃にはシベリアへ渡っていって、夏に向こうで繁殖をする。
 春はシーズンの始まりでもあり、終わりでもある。だから、少しもの悲しい気分にもなる。

徳川園2-6

 渡りのカモたちの姿はもうほとんど見られなくなった。残されるのは一年中日本にいるカルガモだけだ。夏でも冬でも当たり前のような顔をして過ごしているやつらは、季節の移り変わりに何を思っているのだろう。渡り鳥たちにつられたりしないのだろうか。

徳川園2-7

 集団になって顔のあたりを飛んでいる夏の羽虫が出てきた。これも季節のものではあるけど、ありがたみというようなものは一切ない。何故人の背の高さくらいのところを飛んでいるのか。もう少し上空を飛べばお互い邪魔にならずに済むのに。

徳川園2-8

 青い竹垣がきれいだったので撮ってみる。これも日本らしい光景の一つだ。
 新タケノコのシーズンはもう終わりだ。今年もけっこう食べて満足した。

徳川園2-9

 冬は水の流れを見ると寒さや冷たさを感じるけど、春に見ると涼しさや爽やかさを連想する。
 苔の緑も鮮やかさを増してきたようだ。苔好きとしては、また苔シーズンが始まったことを喜んでいる。

徳川園2-10

 滝の前にあるのはモミジの青葉。
 紅葉シーズンは少し前にあったばかりのような気もするのに、あれからもう4ヶ月も経ってしまっている。そう考えると、時の流れの早さが怖くなる。

徳川園2-11

 水の上にできた日だまり。ここに鯉が泳いでくるのを待ってみたけど、来なかった。スポットライトの下の鯉といった感じに撮りたかった。

徳川園2-12

 滝を見ると、赤目四十八滝を思い出す。行ったのは去年の暑い日だった。あの頃はまだ三脚使いではなくて、手持ちでのいい加減な撮り方をしていたから、もう一度三脚を持って行きたい。
 まだ見ぬ滝もたくさんあるから、滝巡りもしてみたい。

徳川園2-13

 この時期の徳川園はあまり撮るものがないという印象だったけど、思った以上に撮っていた。また季節を変えて行ってみよう。

和の食材で洋食サンデー料理

料理(Cooking)
和で洋サンデー

PENTAX K10D+TAMRON 28-75mm f2.8



 今日は和食にするつもりだったのに、考えている途中でだんだん洋食に傾いていって、最終的には和の食材を使った完全な洋食になっていた。素材は、鯛、里芋、豆腐だから、普通に作れば和食になるはずだ。それが洋食になってしまうのは、なるべく料理らしい料理をしたいという気持ちがあるからだ。
 和食は素材をそのまま活かそうとする傾向があるのに対して、洋食は形を崩して食材を材料として扱うことが多い。食べる好みもそうだけど、作り手の側からすると洋食の方が楽しい。洋食の方が誤魔化しが利くという言い方もできるかもしれない。和食は工夫の余地が少ない分、きっちり作らないと美味しくならないという難しさがある。
 そんなわけで、出来上がったのが上の3品だった。

 鯛は塩、コショウ、白ワインを振ってしばらく置いたあと、魚焼きグリルでホイル焼きにする。
 付け合わせのアスパラとトマトは、オリーブオイル、塩、コショウで炒める。
 ソースはグリーンピースソースを作ろうとして思い通りにいかなかった。茹でて皮を剥いてつぶすというのだけど、つぶしの作業は手作業では無理があった。やはりミキサーを使わないとなめらかにはならない。なので、計画変更せざるを得なかった。
 茹でて、ある程度つぶして、皮も適当に取れるだけ取って、鍋で煮詰めることにした。レンジで加熱してつぶしたニンジンも加え、オリーブオイル、白ワイン、コンソメの素、塩、コショウ、砂糖、しょう油、マヨネーズ、からしで味付けしつつ煮詰めていく。
 イメージとはずいぶん違った仕上がりにはなったものの、これはこれでソースとして成立した。もう少しなめらかになればもっとよかった。面倒がらずに裏ごしすべきだったか。

 右は里芋コロッケだ。
 里芋の皮を剥いてよく洗って、レンジで5分くらい加熱してつぶす。白ワイン、オリーブオイルを加えてよく混ぜて、もう1分加熱。
 油切りしたツナ缶、刻んだタマネギ、コンソメの素、塩、コショウ、しょう油、砂糖をよく混ぜ合わせ、小麦粉、卵、パン粉をつけて、揚げる。
 ソースはタルタルソースを作った。
 里芋でコロッケを作ったらどうなるのだろうと思って試してみた。ジャガイモで同じように作った方が美味しくなりそうな気もするけど、里芋ならではのホクホク感もあって、なかなか悪くなかった。

 奥は豆腐のグラタンだ。量の調節に失敗して作りすぎた。美味しかったけど、食べきれず半分残した。
 豆腐はキッチンペーパーで包んでレンジで加熱したあと、水切りをする。ある程度水分が残ってもいい。
 レンジで軽く加熱したエビを刻み、茹でたブロッコリーも加える。
 豆腐をつぶし、マヨネーズ、とろけるチーズ、牛乳、溶かしバター、コンソメの素、塩、コショウを混ぜ、耐熱皿に入れる。
 粉チーズ、パン粉を上に振りかけて、トースターで10分ほど加熱する。すぐにパン粉が焦げてくるので、アルミホイルをかぶせる。
 美味しさという点では普通のグラタンにはかなわないものの、豆腐を使ったヘルシーメニューでもあり、わりと簡単なので、オススメできる。

 今日のサンデー料理はこんな感じだった。それぞれけっこう手間と時間がかかって、食べる前に少しくたびれた。これでまだ2時間半もかかってしまうから、手慣れたものというには遠い。なんとかもっと簡略化というか効率よく作れないものだろうか。野菜の皮むきとか、エビの下処理なんかに時間がかかる。
 味の方はここのところだいぶ安定してきた。だからこそ、もっと冒険してもいい。
 盛りつけはあともう一工夫してレベルアップしなければと思う。

徳川美術館ってこういうところねと <前編>

施設/公園(Park)
徳川園1-1

PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8



 少し前のことになるけど、徳川美術館へ行ってきた。
 日本庭園の徳川園はこれまで何度か行っていて、このブログにも登場している。正確に言うと、尾張徳川二代藩主の光友の隠居所跡に、徳川園という公園を作り、その中に徳川美術館と、日本庭園の徳川園がある、ということになる。だから、徳川園に行くというとたいていは日本庭園に行くということになるのだけど、美術館でも庭園でもないゾーンがあって、その部分も徳川園であり、ここだけは無料で入ることができる。上の写真がその場所だ。
 徳川美術館はまだ一度も行ったことがなくて、一回は行っておかないといけないと思っていた。特に何か目的やきっかけがあったわけでもなく、たまたまそんな気分だったので行ってきた。
 このときはまだ3月ということで、「尾張徳川家の雛まつり」という特別展示をやっていた。たぶん、毎年この時期に行われているのだろう。尾張徳川家に伝わるひな飾りが展示される。

徳川園1-2

 徳川美術館を作ったのは、尾張徳川家19代当主の徳川義親(とくがわよしちか)という人物だ。
 設立は昭和10年で、私立の美術館では草分け的な存在として知られている。
 本部である財団法人徳川黎明会は、東京の目白にある。一度、門の前まで行ったことがある。閑静な目白の住宅街の中でもひときわ静けさを漂わせた雰囲気を放っていた。何故名古屋ではなく東京にあるのだろう。
 私立の美術館というと、館主が集めたコレクションを展示するのが一般的だけど、徳川美術館は尾張徳川家に伝わるものが展示物となっているという点で珍しい。道具類や、武具、美術品、資料など、国宝や重文も多数所蔵している。
 一番よく知られているのは、日本に現存する最古の源氏物語絵巻で、これは国宝指定となっている。残念ながら一般公開は一年のうちの限られた時期で、普段は複製品が展示されている。かなり精巧に作られているそうだけど、やはり本物と複製ではありがたみが違う。
 美術品を目当てに行くと、なんだこれという感じで肩すかしを食うことになる。書や絵画などもあるにはあるものの、道具類がメインとなるので、そのあたりに興味がないとあまり楽しめないかもしれない。
 雛人形も確かに立派ではあるけど、思ったほど古いものではなくて、個人的には江戸時代くらい昔のものを見たかった。
 館内は写真撮影を禁止しているので、中の写真はない。日本の美術館や博物館はほとんどが写真を撮らせてくれないから面白くない。
 一通り見て満足したというか納得した。なるほど、こういうところだったのか、と。二度、三度と行きたいところではない。ただ、現物の源氏物語絵巻だけは見てみたいと思う。

徳川園1-3

 園内は市民の憩いの場ともなっている。
 徳川園ショップ葵では、おみやげもののお菓子や徳川グッズなどが売られている。便せんとか絵はがきとか筆ペンとか、いろいろ欲しいものはあったけど、やめておいた。その場のノリで買うと後から後悔する。観光地のみやげもののようなものだ。人にあげるちょっとしたプレゼントなどにはよさそうだ。機会があれば、そのときあらためて買いに行こう。

徳川園1-4

 日本庭園の徳川園にも入った。
 着物姿の写真撮影をしているところで、遠くから便乗撮影させてもらった。
 さほど大がかりな撮影というわけでもなく、かといって素人でもない。衣装も本格的なものだった。雑誌の撮影か何かだろうか。

徳川園1-5

 徳川園の情景にとても合っているといえば合ってるし、ものすごく不自然と言えば不自然だ。時代劇の撮影で女優さんが演じているようにも見えるし、想像力を働かせればタイムトリップしたようでもある。

徳川園1-12

 バックがいいと写真を撮りたくなるのはプロも一般人も同じだ。ここでは庭園そのものを撮るよりも、こうやって記念撮影をしているシーンをよく目にする。

徳川園1-6

 コイのエサをやるおじさん。
 係の人のようでもあるし、好きでやっている観光客のようでもある。いずれにしても、状況にマッチしたキャスティングだ。何の違和感もない。

徳川園1-7

 園内にはソメイヨシノはなく、梅も冬牡丹も終わっていて、今の時期はあまり撮るものがない。ここは冬場から春先にかけてと、紅葉の時期がいい。
 それ以外の季節はあまり見所がないからリピーターを獲得できないのではないかと思うけど、私のようになんとなく何度も行ってしまう人もけっこういるのかもしれない。
 水風景を撮るなら夏場でも面白い。

徳川園1-8

 庭園は戦後に造られた新しいもので、歴史のある回遊庭園とかではない。それでもけっこうな本格派で、自然の風景に近いものが再現されている。全般的に見て、雰囲気は悪くない。

徳川園1-9

 木の舟は岸辺に浮かべているだけだろう。池は浅いから人が乗って漕ぐことはできなさそうだ。
 舟に乗れるとなれば、観光としてはなかなか面白いと思うけど、どうだろう。
 商売気を出すなら、衣装レンタルや記念撮影のサービスをするなんて手もある。

徳川園1-10

 柳が池に映り込んで、グリーンのグラデーションを作った。この色は春というよりも初夏を思わせる。

徳川園1-11

 人を見るとエサをもらえると思ったコイたちが寄ってきた。しばらく待った後、こいつはくれなと分かると、そそくさと離れていった。金の切れ目が縁の切れ目、エサをくれないやつはコイにとってはただの役立たずだ。

徳川園1-13

 徳川園前半はここまで。後編に続く。

海上の森の行き帰りに見つけた風景

日常写真(Everyday life)
その他写真-1

PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8



 今日は遠出をして、余力が残っていないので、写真を並べるだけの簡単更新にしたい。
 海上の森の行き帰り、自転車に乗りながら見つけた風景だ。

その他写真-2

 青空と雲を映す街中の小さな流れ。
 ほとんどの人が見向きもしない川にも、風景はある。

その他写真-3

 愛知環状鉄道。
 この場所に電車が来たときに撮りたいとずっと前から思っている。まだ念願は叶わない。

その他写真-4

 違う場所で列車が来た。ロケーションがあまりよくない。

その他写真-5

 街の風景、人編で出すつもりだったこれをすっかり忘れていた。ここでねじ込んでみる。

その他写真-6

 田んぼでケケケケッという大きな声が聞こえて、ケリの存在に気づく。そろそろ子育ての季節だ。

その他写真-7

 浅い流れの川。そこにもいろいろな鳥がいる。
 中央にいるのがムクドリで、右手に飛んでいるのはちょっとよく見えなかった。その上に飛んでいるのはツバメだ。ツバメもあちこちでよく見るようになってきた。

その他写真-8

 池の浅瀬でエサを探していたコサギ。かなり近い距離まで近づいても逃げなかった。サギ類でこんなに近づけたのは初めてじゃないかと思う。

その他写真-9

 川で洗う工事のおじさん。手を洗っていたのか、道具類なんかを洗っていたのか。
 海上の森入口の工事は、まだ終わっていなかった。

その他写真-10

 海上の森シリーズの本編でこぼれてしまった一枚。
 壁に映る木々の影。これも自然の造形美だ。

その他写真-11

 帰り道の夕焼け空。光のシャワーが地上に降りそそぐ。

 眠たいので読み返すこともせず、今日はここまで。おやすみなさい。

小牧空港を回って戻る帰り道

街(Cityscape)
自転車春日井-1

PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8



 洗堰緑地で桜を見たあと、春日井を回って帰る途中に名古屋空港にも寄っていった。
 名古屋空港のことを地元の人間はよく小牧空港と言う。中部国際空港セントレアができる前からだ。私もそう呼ぶことが多い。けれど、よくよく地図を見ると、飛行場の大部分はイチローの地元として知られる豊山町にあって、小牧市は一部でしかないことに気がつく。北は春日井市、南西の一部は名古屋市北区でもある。
 少しややこしいので整理する必要がある。名古屋空港は現在、正式名が名古屋飛行場となっている。大部分の便がセントレアに移ったことで、第二種空港から飛行場になった。国の管轄でもなく、県営だ。地図には県営名古屋空港と表記されていたりするけど、これは正式名ではない。
 東には航空自衛隊小牧基地が隣接していて、滑走路を共有しているものの、管理はまた別になっている。だから、小牧飛行場というとどちらのことを指すのか、一瞬よく分からず考えてしまう。
 上の写真で遠くに見えているのは小牧城の模造天守だ。復元ではなく、模造の天守閣で、中は資料館になっている。
 そんなわけで、正しくは名古屋飛行場と呼ぶべきなのだろうけど、昔からの習慣で、いまだに小牧空港と呼んでしまいがちだ。

自転車春日井-2

 視線を東へやると、航空自衛隊小牧基地が見える。水色の機体は、ここらまわりをよく飛んでいるやつだと思う。

自転車春日井-3

 なんとか一機だけでも着陸するシーンを撮ろうと20分ほど待ってみたけど、やって来ないのであきらめた。昔はひっきりなしに離発着していたのに、今は国内線の飛行機が1時間に一機くらい降り立つ程度になった。タイミングが合わないとずいぶん待つことになる。
 しばらく待っていたら、一機が滑走路を進んできた。これから離陸する便だろうけど、そんなにすぐには飛ばないだろうし、離陸は向こう側へするから、こちら側からでは遠すぎてほとんど撮れない。
 飛行機撮りは去年一度この場所でやった。そのときも中途半端に終わったからもう一度来たいと思っていたけど、ついでに寄る程度では撮れないことが分かった。次は時刻表を調べて、飛行場の中から撮ることにしよう。

自転車春日井-4

 ヘリコプターが飛んできたので撮ってみる。
 何にしても、飛行場では300mm望遠では太刀打ちできない。何もかもが遠い。せめて500mmは欲しい。

自転車春日井-5

 春日井王子製紙の煙突。
 王子バラ園はよく行くから、あの煙突はお馴染みだ。バラはもう少し先だけど、そんなに先でもない。あとひと月もすればバラの季節がやって来る。

自転車春日井-6

 鉄塔のてっぺんに置かれた丸いのは何だろう。給水塔にしては小さいし、そもそもあんなところに給水塔を置く意味がない。電波関係の何かだろうか。

自転車春日井-7

 空港からの帰り道。
 ノルタルジックな風景を見つけては撮る。

自転車春日井-8

 城北線の高架。味美駅の近く。
 この下もこれまで何度となく通っていたのに、ここを電車が走っていることに気づいたことがなかった。
 自転車だから気づけることもたくさんある。

自転車春日井-9

 南北に走る名鉄小牧線。二子山古墳近くの踏切。
 北区の上飯田駅と犬山市の犬山駅を結ぶ名鉄の路線で、この電車も私には馴染みがない。
 昔は名鉄といえば赤い車両と決まっていたのに、いつの間にかステンレスの車両ばかりになってしまった。瀬戸電もだんだん切り替わっていくようだし、赤い電車は今後希少な存在になっていく。

自転車春日井-10

 勝川あたりでようやく飛行機が飛んできた。あのまま待っていたら、更に15分も待つことになっていた。
 ちょうど空が開けたところで撮れたからよしとしよう。

自転車春日井-11

 城北線を意識するようになったら、電車が見えた。今まで目にしていたのかもしれないけど意識していなかったせいで認識できていなかった。こんな風に家々の屋根の上あたりを走っていく。
 朝夕の通勤、通学時間はそこそこ混むようだけど、昼間はがらんどうのまま一両で走っているらしい。名古屋市内を走っているとは思えないローカルな風情が漂う。

自転車春日井-12

 庄内川を渡って、小幡緑地の近く。このあたりは高台になっていて、遠くを見渡すことができる。空が少しだけ焼けた。

自転車春日井-13

 日が落ちて、ライトをつけた瀬戸電が近づいてくるところ。
 なんだかんだで5時間くらい自転車に乗っていた。だいぶ慣れて、行ける距離も分かってきた。これからも半径15キロ以内を巡りつつ、少しずつ距離を伸ばしていきたい。余裕を残して片道20キロを往復できるようになると、かなり行動範囲が広がる。

自転車で走りながら切り取る街の風景の断片

街(Cityscape)
自転車の行き帰り1-1

PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8



 空き地の片隅に咲くオニノゲシと、転がるスノーブーツ。冬の終わりと春の始まりを感じさせる街の風景だ。靴の落とし主は、片方をなくしたことにまだ気づいていないのだろうか。今年の冬になってやっと、スノーブーツの片方がないことに気づくのかもしれない。まさか冬までここに転がっているということはないだろう。
 ここのところ桜を撮りに行ったり、あちこち出歩いたりして、写真の在庫がたまってきた。季節ものを優先したことで置き去りになっているネタもある。整理がつかずに何から出していっていいのか分からなくなっている。桜もまだ終わったとは言えないくらい咲いているし、気持ちの中でしっかり完結できていない。
 とりあえずは黒川と洗堰へ行ったときの写真を片付けることにする。自転車の行き帰りで撮った写真を今日は並べることにした。遠出のネタは、細々したものが終わってからにしよう。

自転車の行き帰り1-2

 平安通あたりの交差点だったと思う。遠くに名駅のビルが見えている。
 大曽根から西へ行くことはめったにないから、北区というのは私にとって非常に馴染みが薄い地区だ。庄内川の北はほとんど行ったことさえない。地図を見ていたら、名古屋城の裏から名城公園は北区になっている。それは知らなかった。あそこだけはよく行っているから馴染みがある。
 今回、行こうと思って行けなかった志賀公園は、いずれ機会があれば一度行ってみたい。

自転車の行き帰り1-3

 正面は格子の古い町屋の造りなのに、横にはトタンらしきものが貼りつけられている。補強の一環だろうか。家の前のブロック塀はやや唐突な印象を受ける。途中で途切れてもいる。屋根は古いもののようだ。
 平安とか志賀本通のこのあたりには、少し古い建物が残っている。名古屋城の東北というのはどんな性格の土地だったのだろうか。

自転車の行き帰り1-4

 道から少し奥に入ったところに神社の鳥居が見えた。六所社とある。
 この日の目的は神社巡りではなかったから、表通りから写真を撮るだけにして寄らなかった。そういえば、名古屋市神社巡りシリーズはしばらくお休みになっている。

自転車の行き帰り1-5

 新堀町あたり。消防車が何台も走っていったあと、パトカーもサイレンを鳴らしながら飛ばしていった。近くで火事か事件でもあったのだろうか。

自転車の行き帰り1-6

 ヘリコプターまで飛んできて、なにやら騒然とした雰囲気になった。
 けど、野次馬根性が弱い私なので、先を急ぐ。目的はあくまでも桜だったから。

自転車の行き帰り1-7

 矢田川沿いにあるちょっとした公園に、こんもりした丘と大きな岩がある。少し気になったけど、先客がいて説明文を読めなかった。
 名古屋市北東部は古墳がたくさん見つかっているから、ここもその一つかもしれない。古墳時代の海岸線は名古屋市の北のあたりだったというから、このへんも海に近い土地だったのだろう。

自転車の行き帰り1-8

 東名阪の隣りに高架の鉄道駅があることに気がついた。看板を見たら城北線とある。城北線? なんですか、それ?
 名古屋生活が長い私なのに、城北線というものの存在を、このときまで知らなかった。
 帰ってから調べたところ、名古屋駅から西へ向かう東海道本線と、東へ向かう中央線を、枇杷島と勝川で結ぶ第三セクターの鉄道路線とのことだ。東海交通事業城北線というのが正式名称らしい。
 それにしても、そんな鉄道が名古屋市内を走っていたことを、今まで知らなかった自分に驚いた。かなりマイナーな路線のようだから、私のように知らない名古屋人も案外いるのかもしれない。

自転車の行き帰り1-9

 どこを走っていたときの景色だったか忘れてしまった。小さな川沿いだったことは間違いない。大きな木と、古びたアパートらしき建物が目についた。
 木の下まで行ってみると、石仏がいた。手を口に当てていて、歯痛が治る観音さんとかなんとかいう説明文があったと思う。

自転車の行き帰り1-10

 如意にある大井神社。ここも前を通っただけで、中には入らなかった。
 もともとは大井池のほとりにあったことからそう名づけられた神社で、延喜式に載っている式内社というから、創建は古い。
 自転車で走る道はその都度気まぐれになるから、気になったところはなるべく寄っていくようにした方がよさそうだ。この道を今後通る可能性はかなり低い。

自転車の行き帰り1-11

 子供の頃あったような古いタイプの喫茶店。もう営業はしていないようだ。
 チェーン店に押されて、町の喫茶店というのもずいぶん少なくなった。

自転車の行き帰り1-12

 如意から春日井へ向かう途中の通りにあった古い家屋。こういうのを見つけたら、とりあえず撮る。コレクションのようなものだ。

自転車の行き帰り1-13

 少しモダンさを感じさせる廃屋。
 一階が店舗で二階が住居という建物がけっこうあったけど、最近はすっかり下火になってしまったようで、営業している店は少ない。理にかなった建物なのに、再び見直されることはないのだろうか。

 こんな感じの写真がまだけっこう残っているので、順番に紹介していくことにしたい。

街の風景 ---そこには人がいる

街(Cityscape)
人のいる風景

PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8



 今日は街の風景---人編をお送りします。
 街を撮るのが好きなのは、そこに人がいるからだ。人間が作り出した風景の中に人間がいるのはごく自然なことで、逆に人がいないと不自然な風景に感じられる。ただ、人が入っていれば何でもいいかといえばそうではない。心惹かれる光景というのはそれほど多くはない。場所と登場人物の幸運な出会いによって街の風景写真は生まれる。撮ったシーンのどこがよかったのかと訊かれると答えに困るのだけど。

人のいる風景-2

 そこに桜があるだけで、なんでもないシーンが、なんとなくいいシーンに思える。
 桜は春の主役であると同時に、偉大な名脇役にもなる。そういう写真を撮りたいと、いつも思っている。

人のいる風景-3

 団地の下の広場でサッカーをする団地っ子たち。
 そんな光景を見ていると、自分が少年時代を過ごしたときとそれほど変わっていないように思える。子供が子供らしさを失ったわけではない。

人のいる風景-4

 団地の姿形に興味があるわけではなくて、団地の持つ空気感や風景に惹かれる。お年寄りとお母さんと子供たちが共存している光景が、昭和のノスタルジーを思い起こさせるからだろうか。これも一種の団地萌えと呼べるのかどうか。

人のいる風景-5

 ギターを持った渡り鳥はもういなくても、ギターを持った青年は街にいる。ギター少女もたまに見かける。
 ずっと以前に一度だけ、夕焼けの海に向かってギターをかき鳴らしながら大声で歌う青年を見たことがある。あのシーンは今でも忘れがたい。もう一度あんな場面に出会えたら、きっといい写真を撮れるのにと思う。

人のいる風景-6

 表通りに面した古い日本家屋の名残。
 格子窓や黒い木の家は、現代の町並みにも違和感なく溶け込む。こういう家がどんどん少なくなっているのは残念なことだ。

人のいる風景-7

 シャッター店舗も、ここまで来るとかえって絵になる。
 単につぶれた店の跡ではなく、そこに夢の残骸を見る。開店当初はみんな夢を実現させたと喜び勇んだろうに。

人のいる風景-8

 街中で暮らしていると救急車には慣れてしまって心が反応しなくなるのだけど、出動中の消防車となるとさすがに無視はできない。近くで火事があったのかと気になる。消防車のサイレンは、殺気立っているようにさえ聞こえる。
 田舎にいると、救急車というのはものすごく非日常のものだから、近くでサイレンが聞こえるとかなり驚く。親しい人に何かあったのかと考えるから。街中では救急車も他人事になってしまう。

人のいる風景-9

 母と娘は見上げて何を見ていたのだろう。なんだか気になった。

人のいる風景-10

 爽やか若手カップル。
 昔に戻りたいという気持ちはさらさらないけれど、こういうシーンを見ると、もう自分はこんな時代に二度と戻れないんだと思って、少しだけ悲しいような気分になる。

人のいる風景-11

 桜の下、散歩の犬は、花の匂いより、出店のホットドッグの香りより、土の匂いが気になったようだ。

人のいる風景-12

 青信号に変わったのを見て、横断歩道を悠々と渡っていく猫を見た。慌てず騒がず、本当に信号が分かっているかのような落ち着いた足取りだった。
 その姿を見て驚くおばさま。私の方が慌てて写真を撮ったから、手ブレてしまった。猫に負けたと思った。

洗堰緑地の桜トンネル再訪

桜(Cherry Blossoms)
洗堰-1

PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8



 黒川を北上して夫婦橋付近まで行ったところで、桜並木は途切れる。黒川はこの先、北を流れる矢田川の地下を通るためにいったん地上から姿を消す。
 次に向かったのは、洗堰緑地(あらいぜきりょくち)だった。
 庄内川を真ん中に、南に矢田川、北に新川・新地蔵川が流れるこのあたりの地形は、かなり複雑なことになっている。庄内川は大きな川で、大雨で氾濫すると大変なことになる。南には名古屋城があるため、南側が溢れないように北側にはわざと堤防を作らず、庄内川が溢れたときは北の新川に水が流れるように逃げ場を作った。それが新川洗堰だ。北側の地域に住む人たちにとってはたまったものではないこの構図によって、東海豪雨のときはかなりの被害が出たそうだ。苦肉の洪水対策とはいえ、かなり無茶な発想だ。
 そんな洗堰緑地を訪れたのは、桜が目当てだった。ここも以前、黒川の桜を見にいったときに一度行っている。
 三階橋を渡って、矢田川沿いの道を行った。吹きさらしの強風に吹かれ、猛烈に寒かった。水辺は危険だ。3月から始まった自転車散策は、今のところ自転車は寒いという印象しかない。夏になると自転車は無茶苦茶暑いということになるのだろう。
 上の写真は41号線の手前の矢田川沿いの土手だ。もうこのあたりから洗堰緑地は始まっているのかもしれない。
 川向こうには高層マンションのザ・シーン城北が建っている。

洗堰-2

 庄内川と矢田川に挟まれた河川敷に、不思議な光景が広がっていた。
 なんだこりゃ、と思う。
 単なる畑ではなく、独立村みたいな景観だ。畑にはいろいろな野菜が植えられ、ところどこには菜の花や桜が咲いている。小さなビニールハウスや物置小屋も点在していて、農作業をしている人もいる。
 こんな光景が何の前触れもなく川岸に突然現れるから驚く。もちろん、許可は取ってあるのだろうけど、こういう河川敷というのはそもそも誰の土地なのだろう。個人の地主がいるのだろうか。

洗堰-3

 洗堰緑地というと、庄内川沿いにずっと西へ行ったところという感覚があるのだけど、名古屋城のほぼ真北で、少し西へ行くと庄内緑地がある。だから、名古屋駅ともさほど離れていない。ビル群も近くに見える。手前は、このあたりでは珍しい河川敷のラグビーグラウンドだ。

洗堰-4

 洗堰緑地に桜があるらしいという曖昧な情報を頼りに初めて訪れたときは、なかなか桜を見つけることができず、ずいぶん探し回った。川沿いに桜はなく、桜トンネルがあるのは北へ少し行った蛇池公園とその周辺だ。

洗堰-5

 ここの桜トンネルが印象的で、もう一度見たいと思っていた。
 高台にあるから、桜の木は無事だったようだ。大きく育って、きれいな桜トンネルを作っている。数百メートルではあるけど、この桜トンネルはいい。車の通行が多いので、ゆっくり桜を撮れないのが少し残念ではある。

洗堰-6

 桜トンネルの下をいく自転車高校生カップルを一度撮ってみたいとずっと思っていて実現していないのは、桜が咲いているのは春休みの期間だからだ。部活で学校へ行く生徒もいるはずだけど、今のところ幸運には恵まれていない。
 確か明日は公立の入学式のはずだ。もしかしたらチャンスがあるかもしれない。どこかでいいシーンに出会えるといいけど。

洗堰-7

 蛇池公園(じゃいけこうえん)の周囲も桜が植えられている。ここは一段低くなっているから、豪雨のときの影響を受けたようだ。それでもあれから10年経って、当時の傷跡も消えつつある。
 真ん中の池が蛇池で、昔から大蛇がすんでいるといわれたことから、この名がつけられた。信長はその話を聞いて、それならオレが捕まえてやると、村人に水を抜かせて自ら池に入って蛇を探したという逸話が残っている。結局、大蛇は見つからず、信長はあきらめて帰ったそうだ。

洗堰-8

 ハスの名残風景。
 このときは風が強くて水面が乱れて駄目だった。方角もちょうど西向きだし、風のない夕焼けのときなら面白い写真が撮れそうだ。

洗堰-9

 蛇池公園に遊びに来た小学生の女の子たち。春休みらしいワンシーン。

洗堰-10

 遊具の上の小学生たち。サル山のサルみたいと言ったら怒られるか。

洗堰-11

 桜トンネルを下から。

洗堰-12

 洗堰緑地の桜を撮ったところで帰路につく。
 そのまま来た道を引き返すのは詰まらないので、春日井方面から回っていくことにした。途中で名古屋空港にも少し寄っていった。そのときの話はまたいずれということにしたい。

はじめにギョーザありきのサンデー料理

料理(Cooking)
焼きギョーザ出発サンデー

PENTAX K10D+TAMRON 28-75mm f2.8



 今日のサンデー料理は、焼きギョーザから始まった。なんだか無性に焼きギョーザが食べたくなったのだ。たまにそんなことがある。それなら作ってしまえばいい。ちょうど日曜日だし。
 そうなると和食にはならないし、フランス料理系の洋食にもならない。必然的に中華寄りの料理ということになる。
 タケノコが残っていたので、それも使うことにした。あとはメインの魚料理ということで、白身魚のタイを選んだ。そうして出来上がったのが上の写真の3品だ。

 ギョーザは普通に作っても面白くないので、少しひねった。肉は使わずエビギョーザにした。
 エビの下処理をして、形が残るように小さくぶつ切りにする。
 キャベツを塩水で下茹でして、取り出して絞る。それを刻む。
 エビ、キャベツ、卵白、塩、コショウ、中華の素、砂糖、唐辛子、ごま油を加え、粘りけが出るまでよく混ぜる。
 あとは皮に包んで普通に焼くだけだ。お湯を加えてフタをして、水気がなくなったところでごま油を回し入れる。しっかり焼き色をつけたら完成だ。
 たれは、しょう油、酢、塩、コショウ、砂糖、唐辛子、酒、みりん、ラー油を混ぜ、ひと煮立ちさせる。

 タケノコは水煮したものを切り分け、ペーパーで水気を拭く。
 ビニール袋に、カタクリ粉、塩、コショウとタケノコを入れて、振ったりもんだりして粉をまぶす。
 溶き卵にくぐらせてから、オリーブオイルで焼いていく。残った溶き卵に、マヨネーズ、コンソメの素、塩、コショウ、砂糖、とろけるチーズ、マスタードを加え、回し入れて、更に焼いていく。卵がある程度固まったら出来上がりとなる。
 最後に粉チーズとパセリ粉を振りかける。

 白身魚は、塩、コショウ、白ワインを振ってしばらく置いたあと、パン粉をまぶして、オリーブオイルで焼く。
 ソースは、しょう油、酒、みりん、塩、コショウ、砂糖、ダシの素、豆板醤、長ネギ、大葉、白ごま、カタクリ粉を混ぜて、煮立たせる。
 付け合わせは、キャベツ、ニンジン、アスパラ、トマトを炒めたものだ。

 ギョーザを食べて満足したとともに、他の2品の出来もなかなか良かった。タケノコや春キャベツを使って、少し春らしさも出せた。
 新タケノコも、今年はこれで終わりかなと思う。来週までには桜も終わってるだろうし、季節はまた一歩前進する。料理も何か新たなテーマを見つけていきたい。

名古屋も桜満開 ~香流川から黒川へ

桜(Cherry Blossoms)
香流川から黒川-1

PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8



 名古屋の桜も昨日、今日で一気に満開となった。開花からここまで時間がかかったのは、気温が下がったことと雨が多かったからだ。ここ数日は強い風が吹いているから、咲いた桜は早くも花吹雪になって舞っている。満開を過ぎれば、あとは早い。数日で見頃を過ぎて、あっけないくらい簡単に終わってしまう。
 近所の桜巡りは今年最後くらいのつもりで何ヶ所か回ってきた。香流川から黒川、洗堰と行って、帰りは春日井を回って帰るというコースだった。その中から、今日は香流川から黒川までを紹介したいと思う。情報の鮮度としてはギリギリで、明日の日曜日に間に合うといいのだけど。

香流川から黒川-2

 香流川は今年もよく咲いた。ここの桜の木もだいぶ大きくなった。花の勢いもまだまだある。もうしばらくはいい状態で楽しめそうだ。

香流川から黒川-3

 チビに桜のなんたるかはたぶん分かっていない。私も桜のよさが分かってきたのはここ10年くらいのものだ。写真を撮るようになる前は、季節のものとして漠然と眺めていただけで、桜を見て何かを思うというようなこともなかった。
 桜の魅力を知った今は、一回でも多く桜を見たいと思う。

香流川から黒川-4

 今年は香流川の桜をよく撮った。咲き始めから満開まで、3度、4度と撮りに行った。雨の日も撮ったし、もう充分満足だ。桜の下を行く人たちもたくさん撮った。

香流川から黒川-5

 ナゴヤドームを過ぎて大曽根駅の手前。大きな桜の木があって、よく咲いていた。

香流川から黒川-6

 黒川の桜は何年か前に一度だけ見にいったことがあった。
 ところで、黒川と堀川の関係はかなりややこしい。名古屋港から熱田、名古屋城あたりまでが堀川で、そこから上流を黒川と呼んでいる。部分的に庄内用水もある。
 歴史をさかのぼれば、庄内川から名古屋城に物資を運び入れるために福島正則が掘削したのが堀川の始まりなわけだけど、それがそのまま現在の堀川になっているわけではない。埋め立てられたり、新たに別の水路が掘られたり、統合されたりと、あれやこれやあって現在に至っている。
 黒川の名前の由来は、地名の黒川から来ていると思っている名古屋人も多いんじゃないだろうか。これは逆で、黒川という川の名前から地名は名づけられている。その黒川というのは人の名前だ。
 明治10年(1877年)に、技師の黒川治愿(はるよし)が新たに川を整備したことから、通称、黒川と呼ばれるようになった。

香流川から黒川-7

 桜名所情報に載るようなメジャースポットではないものの、そこそこ知られた場所で、それなりの賑わいを見せている。それでも、五条川や山崎川のようにメジャーではない分、のんびり桜見物ができる。

香流川から黒川-8

 何か祭りの準備をしていた。帰ってきてから調べたら、今日、ここで友禅流しをしながら琴の演奏が行われたようだ。情報が一歩遅れてしまった。

香流川から黒川-9

 散った花びらが川を流れてゆく。大量の花びらはどうなってしまうのだろう。流される途中で川底に沈んでしまうのだろうか。
 このまま海まで流れていったらいいのに。上流から花びらを集めて、すべての川から一斉に流れ込んで、海の水が桜色に染まったら、さぞかしきれいだろう。
 大量の桜の花びらが川を流れていく様子をスローシャッターで撮ってみたいと、何年も前から思っている。少し暗い夕暮れ時がいい。そんなシーンに出会ってみたい。

香流川から黒川-10

 桜の花びらとコサギ。花びらは魚を獲るのに邪魔かもしれない。

香流川から黒川-11

 桃の花だろうか。桜が終わればすぐに桃で、そうこうしていると藤の花も咲いてくる。季節はどんどん進んでいく。
 猿投の里の桃も、もうだいぶ咲いてきた頃だろう。

香流川から黒川-12

 南の志賀橋から、北の夫婦橋までの約1.7キロの間、桜並木は続く。歩いて往復するにはちょっと距離があるから、北へ行くほど人影はまばらになる。
 川辺は御用水跡街園と名づけられている。もともと名古屋城の堀の水は湧き水だったのだけど、それが枯れて庄内川から水を引き込むために作られた水路が御用水だった。黒川はまた別に掘られた水路で、御用水とは平行に流れていた。その後、御用水は埋め立てられ、黒川沿いを御用水跡街園として整備したというわけだ。

香流川から黒川-13

 前回見ることができなかった黒川樋門(くろかわひもん)を見たくて夫婦橋まで行った。
 庄内川から黒川へ引き込む水量を調整する水門で、明治に作られたものを昭和55年に復元したものだ。オリジナルではないものの、なかなか雰囲気があっていい。

香流川から黒川-14

 今はもう水門としては使われていない。昔の面影を残すだけとなっている。

 このあと洗堰編へ続く。

街の風景 ---歳月と時代編

街(Cityscape)
街の風景-1

PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8



 きれいな花や、美しい自然だけが、撮るべき対象とは限らない。街に出れば心惹かれる被写体がそこここにある。住宅地の片隅、路地の中、駅の裏通り。そんな、人々が見ることなく素通りしてしまう場所に。
 街をゆっくり移動しながら、折に触れて撮った写真の中から、今日は歳月と時代をテーマにした写真を集めてみた。基本的に、古いものに惹かれる傾向が強いのだけど、ただ古ければいいというものでもない。時間の経過を感じさせるものを、撮るのが楽しい。過ぎ去った時代へのノスタルジーというよりも、今という時代をより強く感じるために。

街の風景-2

 今はもう使われていない工場の建物。事務所なのか、作業部屋なのか、見るほど不思議な建造物だ。
 やわそうな足で三階建ては大丈夫なのかと心配になる。上り下りは表に貼り付いた階段で行っていたらしい。

街の風景-3

 世の中には自分の知らないところで様々なゴミやら資源やら金属やらがあって、目にしているのはほんの一部にすぎない。車一つとってみても、解体するとなるとものすごくたくさんの種類の部品に分けられる。家庭ゴミの分別どころではない。

街の風景-4

 ビルの解体作業中。
 上からホースで水をかけているのは、砂埃が舞うのを防ぐためだろうか。
 古いものは壊され、その跡に新しいものが建つ。世界中どこでもそうだけど、日本ほど何層にも時代を重ねているところは他にないんじゃないだろうか。近年だけみても、第二次大戦で焼け野原になり、大きな地震もあった。都市部では大規模な再開発も行われた。更に時代をさかのぼれば、大正、明治、江戸と、時代が変わるたびに文化も変わり、建物も建て直されてきた。
 今自分が立っている地面の下に、何層もの時代が重なっていると思うと、想像が膨らんで面白い。

街の風景-5

 古い家屋と新しいマンションの対比は今に始まったことじゃない。もうしばらくこの光景が続いている。けれどこの先、古い木造家屋はどんどん少なくなっていく。やがてこんな光景もほとんど見られなくなるのだろう。それはそんなに遠い未来のことじゃない。

街の風景-6

 一昔前まで、煙突はさほど珍しいものではなかった。町には銭湯があり、工場もあった。焼き物の町では窯の煙突が何本も立ち並んでいた。
 今、煙突は珍しい存在となり、昔よりもよく目立つ。だから、煙突を見ると撮りたくなる。

街の風景-8

 古いミシン台だろうか。子供の頃、こんな足踏みミシンが家にもあった。今はミシンも小さくなったし、そもそもミシンをする家庭も少なくなっているだろう。

街の風景-9

 ツタのもじゃハウスを発見。これも見つけたら、たいてい撮る。もじゃハウスに住みたいとか、憧れているとかではないのに、何故かしら撮りたくなる。なんだか見ると嬉しくなるのだ。

街の風景-10

 けっこう古めの家の裏手。昭和の雰囲気が色濃い。そういえば文化住宅なんて言葉があったのを思い出す。
 この二軒は別の家なのか、続きになっているのか。建物同士が一階部分だけ連結されている。連結部分だけ多少新しいようにも見えるから、この部分を増築して、二階も少し広げたのだろうか。
 なんとなく不思議な構造になっている。

街の風景-11

 物干し台もない二階の窓。
 昭和の苦学生が下宿している二階の部屋といった感じだ。
 こんなところに住んだこともないのに、昔こんな部屋の窓から外を眺めていたような気がする。

街の風景-12

 漆喰の土蔵作りのような古い建物。窓の感じもごく古い。
 だいぶ壁がはがれ落ちてきていて、その上から雰囲気を壊さないように黒い建材で半分覆っている。トタンではない。木だろうか。
 これもまた歳月であり、今でもある。

街の風景-13

 閉鎖して久しい感じのカメラ屋さん。かつてはモダンな作りの店舗だったかもしれない。
 デジタルと大型店全盛の時代に、古いカメラ屋が生き残っていくのは厳しいものがある。
 時代の流れに乗ることが必ずしも正義ではないけれど、時代に取り残されるというのは悲しいものだ。時代はときに残酷だ。

街の風景-14

 工場の高い煙突。夕暮れ時に、煙は吐いていない。
 馬鹿と煙は高いところに登りたがるという言葉も、今ではすっかり時代後れのものとなった。現代は日常生活の中で、煙を目にすることがほとんどなくなった。高いところには事欠かないけれど。

 こんな風景を探しながら、街をうろついている。街撮りも面白い。撮るべきものは、半径10キロの中にたくさんある。

海上の森の春はこれから深まってゆく <第三回>

森/山(Forest/Mountain)
海上の森3-1

PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8 / TAMRON SP 90mm f2.8



 春の海上の森シリーズ第三回は、残りものの写真を集めて一回分のネタにした。森の外の写真も少しあるのだけど、それはまた別のときに紹介することにしたい。
 一枚目は、枯れた綿毛にクモの巣が引っかかって、風に揺れていた。冬の名残の光景でもあり、春の予感を感じさせもした。
 まだ虫はほとんど出ていなかった。森の外でモンシロチョウを1匹見たくらいで、小さな羽虫もまだ少ない。巣を張るクモはまだだろう。巣を持たないクモは成虫のまま越冬するやつがいるから、そういうやつらは地面の上をもう動き回っているはずだ。
 目に見える範囲では、まだ森は活発に活動していない。大きな動きが出てくるのは、4月の後半くらいからだろうか。

海上の森3-2

 ススキも枯れ姿のまま立っている。そろそろ出番は終わって姿を消す頃だ。

海上の森3-3

 何の葉か知らない。葉っぱの模様が恐竜の皮みたいに思えた。シダ植物の感じもある。

海上の森3-4

 もくもくの白い雲を背景に冬枯れの木の枝を撮ってみる。
 こんな風景を見ても、もう冬ではないなと思う。映る空気感に、冬の冷たさや厳しさがない。

海上の森3-5

 森の外の田んぼのあぜ道に咲いていたムスカリ。
 民家の庭から何らかの形で運ばれてきた種が、ここで芽吹いたのだろう。そんなふうにして長い歳月の中で日本に定着した野草もたくさんある。

海上の森3-6

 木々の枯れ枝と月の風景。昼の月はさほど珍しいものでもないけれど、見るとなんとなく撮りたくなる。

海上の森3-7

 このしだれ桜はなんという品種だろう。見た覚えがあるようなないようなだ。ソメイヨシノより少し早く満開が近づいていた。

海上の森3-8

 海上の里にある小さな田んぼに咲くタネツケバナ。
 海上の田植えは遅いから、まだしばらくは安泰だ。土を掘り返されてしまうと、こんなに気ままには咲いていられない。
 早いところではそろそろ田起こしが始まっている。

海上の森3-9

 目の前を犬が駆けていった。海上の森では珍しい光景だから、ちょっと驚く。首輪もしているから飼い犬だろうけど、勝手に抜け出して散歩していたのだろうか。
 たまに猫も見る。もちろん野生ではなく、里の家でメシをもらっているやつだ。里山でも野生の猫というのはほとんどいないと思う。

海上の森3-10

 緑の林。強い風に吹かれてゆさゆさ揺れていた。
 スギ花粉はそろそろ終わりのようだ。ただ、第二弾のヒノキ花粉の方にやられがちな私は、まだしばらく鼻のぐずぐずは続く。それでも、今年は花粉が少なかったようで、すごく楽だった。目はほとんどやられずにすんだ。

海上の森3-11

 海上の森に武田信玄の隠れ城があったという説を唱えている人がいる。あまり一般的には認められていないようだ。京都へ上洛する途中、信玄は勝頼とは別働隊として行動していて、何かがあって(毒殺説も)この海上の森で命を落としたなんて話もある。
 森の中には物見山(ものみやま)と名づけられている山があるのだけど、信玄の家臣が山の上から敵を偵察していたという話あたりまでは信じてもよさそうな気がする。

海上の森3-12

 森の春はまだ始まったばかりで、里より少し歩みが遅い。それでも、ここから一週ごとに変化が訪れ、春は加速しながら深まっていく。4月に入れば、初夏ももうそう遠くはない。
 次回の海上の森行きは、5月くらいになるだろうか。片道約10キロの道のりを自転車で行って、森を4時間歩いて、帰りも自転車で10キロというのは、多少きつかった。しんどかったという記憶が薄れた頃に、また行くとしよう。

春と冬が半々の海上の森水風景 <第二回>

森/山(Forest/Mountain)
海上水風景-1

PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8 / TAMRON SP 90mm f2.8



 春の海上の森第二回は、水風景編ということでお送りします。
 3月終盤の森の中は、春らしくもあり、まだ冬でもあるという、半々の状態にある。日差しには春の柔らかさを感じ、色はまだ冬の茶色が支配している。そんな風景の中で、咲き始めた花々によって少しずつ色が戻ってきている。森が総天然色を取り戻すのは5月になってからだ。

海上水風景-2

 水の流れと水紋と光と影。
 そこに冬の寒々しさはなく、優しい温もりさえ感じられる。手で触れてみればまだまだ水は冷たいけれど。

海上水風景-3

 水の流れの中に芽吹きを見つけた。小さな春がここにもある。

海上水風景-4

 池に映るのは、葉を落としきった白い枝の姿。ここはまだ冬の続きをやっている。春はまだ完全には深まっていないことを知る。

海上水風景-5

 湿地帯の中に小さな池がある。この時期はまだ透明度が高い。夏になると腐食した植物が沈んで淀んだり、いろんなものが水に浮いたりして、もっと汚れた感じになる。

海上水風景-6

 清らかな水の流れの中で、少し大きめの石に引っかかった枯れ葉と緑の葉。冬がまだ粘ってしがみついているのを、春が押しのけようとする姿に見えた。

海上水風景-7

 木の枝と葉が水に濃い影を落とす。その合間に光が当たって、水面をきらめかせた。キラキラは生き物のように踊り続けて止まらない。

海上水風景-8

 海上の森大正池から流れ落ちる水の水量がすごく増えていて、少し驚く。この砂防ダムは、冬の間水を抜いて川になり、春になると水をためて池になる。

海上水風景-9

 満々と水をたたえた海上の森大正池。
 四季を通じて通っていると、この風景は森の春を感じさせる。

海上水風景-10

 大正池は、光の当たり具合と風によって様々な色と表情を見せてくれる。ここを撮るのが海上の森での大きな楽しみとなっている。これまでもたくさん撮ってきたけど、こんな色が撮れたのは初めてだ。

海上水風景-11

 人の都合で水をためられたり抜かれたりする中で、植物たちはその状況に応じて命を繋ごうとする。立ち枯れた木に付着した種が芽吹いて、そこから育ってきている。ちょうど接ぎ木のようなものだ。このまま育って成長できるのかどうか。

海上水風景-12

 影が生み出す水の青と水紋。

海上水風景-13

 この日は風が強くて、水鏡の風景は撮れなかった。その代わり、風が作るさざ波が水面を滑っていく様を撮ることができた。こういう変化も面白い。

海上水風景-14

 木々の間から光が漏れて、暗い水面にスポットライトを当てた。

 水面の映り込みは秋の紅葉の時期が一番だけど、それぞれの季節の魅力もある。今回は篠田池まで行けなくて少し残念だった。夏になればあちらはたくさんのトンボが飛ぶようになって楽しみが増える。大正池も、これから緑が戻って、また違った色を見せてくれる。これからもいろいろな水風景を撮っていきたい。
 春の海上の森シリーズはもう少し続きます。